2293303 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2021年12月27日
XML

甲斐の古代御牧(勅旨牧)と、美津御牧(美豆御牧)

 

甲斐国志以来山梨県の歴史展開は資料未読が多く、

この牧も甲斐の古代牧として記述しているものが多く見られる。

 

 『日本馬政史』(巻一P473~474)に次の記載がある。

 

 美津御牧の件-文治四年(1188)四月四日、

 

被獻武衛御返事事造内裏事、早可致沙汰

御厩司(ムマツカサ)事勅定之上非可辭申給

美津御牧者、承及者為御厩ノ菅地歟、

為後代今度尤可令申付給哉云々、(東鑑)

 美津御牧とは延喜式に云ふ、

山城国美豆厩、(畠十一町)野地五十町餘、

右二寮夏月、簡 御馬不肥者遣飼、

亦諸祭寮ノ馬、同令 放飼 とある是也。

 

 ② 『大日本地名辞書』

山城国久世郡の御牧は、美豆と稱し木津川両岸に渉る。

「名勝志」に云、美豆御牧は淀大橋の北也。

古は馬寮の御牧にて放飼の地也。

今美豆は綴喜郡に属し、狭少なれども、御牧は数村となる。

 

「夫木集」にある順徳院の御歌に、

かりてほす美豆の御牧の夏草は

しげりにけりな駒もすさめる 

とある是也。

 前記の美津御牧(美豆御牧)の歌は

甲斐御牧とは何らの関係も持たない御牧である。

また眞衣野牧や柏前牧の歌は見えなく、

『甲斐国志』の眞 郷の二首も他の御牧の歌である。

美豆御牧を詠んだ歌は数多くありそれは凡そ次のようである。

 

美豆御牧

 

小笠原みつのみまきにあるゝ駒

とれはそ馴るこらが袖かも    『六帖集』

小笠原みつのみまきにあるゝ駒

とれはそ馴るこらが袖かも    『夫木集』 

 

みつのみまき

 

まこもかるみつの御牧の駒の足

早く楽しき世をもみる哉     『兼盛集』 

 

隔河戀

 

山城の美豆の里に妹を置て

いくたひ淀の舟よはらむ       『頼成卿集』 

 

美豆御牧

五月雨に里にもみつの河近み

ほすかりこもや庭の浮草      『和歌名所詞花合』

美豆の江のまこもゝ今は生ぬれは

たなれの駒を放ちてそみる   『堀川院御時百首和歌』

かりてほす美豆の御牧の夏草は

しけりにけりな駒もすさめす   『内裏名所百首』

こりこもの五月の雲に成にけり

美豆の御牧の夕暮の空

まこもくさ末こそまては日数ふる

みつの御牧のさみたれのころ

 

美豆御牧

徒に美豆の御牧まこも草からて

浪こす五月雨の比        『菊葉和歌集』

 

名所百首

 

五月雨に駒もすさめすまこも草

美豆の御牧に浪にくちぬる    『順徳院御集』

 

美豆御牧の歌はまだ多くある。『甲斐国志』以来の甲斐地書は『国志』を引用し自己解釈を続け。結局は不詳となってしまった。歴史学の欠点は間違った私説記述を訂正しない傾向にある。

中には自信たっぷりに「である」と言い切る文献もあるが、その論を裏づける資料は何も見えない場合がある。市川団十郎の伝記などその良い例である。諸説ある出生地についても甲斐国市川(周辺)の出身と断定し、それらしい説を肉付けして信憑性を増す手法は歴史創作にはよくある事である。史実であるなら単純に有効な史料を示すだけで事足りる問題である。

 甲斐の古道(官道)なども『延喜式』の駅名の順序が逆として論を展開しているが、その論拠は誠に心許ないものである。視野の狭さと研究不足が目立つ。歴史の確実さを追求するには、膨大な時間と弛まざる研究姿勢が必要であり、旧説との妥協や思い込みの先行する歴史論からは真実には迫ることはない。元来「謎を解明する」等の書や論文は「さらに謎が深まる」場合の大多く「耶馬台国論争」など好例である。

 柏前牧と眞衣野牧の位置関係や運営に携わる人々の関連の深さは文献書から浮かび上がる。文献からは眞衣野牧が主で柏前牧副と思われる。それは眞衣野牧の単独駒牽はあっても柏前牧単独での駒牽はなく、必ず眞衣野牧とセットで実施されているからである。眞衣野牧を現在の北巨摩郡武川村牧ノ原一帯(最近の研究ではその地域が拡大している)、柏前牧は高根町樫山附近の比定ではそうした三つの関係は想定できないのである。次にその眞衣野牧について史料をみる事にする。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021年12月27日 13時45分03秒
コメント(0) | コメントを書く
[?山梨県 歴史誤導 なぜ山梨県の歴史著述にはまちがいが多いのか?] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

9/28(土)メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X