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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年12月31日
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甲州初狩妙台寺鐘銘                            ・’

  (以下略)

 

此鐘は二寸ばかりの疵あり。

寺僧のかたらく此疵今十年ばかりむかしはいと大きやかなりしか、

おのれがおぼえてもいとちいさくなりぬといへり。

武蔵国六社の古鉄仏も御肩のあたりに疵ありしが、

やうやういえあひて今はいとちいさくなりぬ。

すべてふるきかねはさることあるものと見えたり。

ほどなく一宮村の一宮にいたりぬ。

はじめにいへる如くこゝぞ

式内八代郡立浅間明神桐・列於官社・即置・税禰宜・随巴玖祭。

云々と見えたり。

にひ川を北へわたれば山梨郡田中の里也。

にひ川を今は日川といふは音便よりよこなまれるものなるべし。

加々美真文をとふ。

あるしちかきあたりに行てあらぬほどなれど、

家としかねて待ちまゐらせぬとて、よろづ敬介し、

奥まりたる一間に請じいれぬ。

萩原貫斎来れり。

此ぬしは『甲斐名勝志』ものしたる元克ぬしの弟、真文が叔父也。

去年伊豆の国の海山残るかたなく廻りて、

みづから画かき集めて東海観魚と名付けおける

一帖をおのれにみせておくがきこへりしかぱ、

かきておくりたること有き。

また往にし年甲斐の国中の山川のおかしき所々

見めへりて、やがて画かきたるを見せられし事ありき、

その画の中に、富士川の様に、

おのれ詠みて書きつけし長歌思ひ出たるまゝこにしるしつく。

 

神さぶる、不二の高嶺は

天池にたへなる神代の中に

ひてたまるやま其の山の

雪消しの水の落滝津

麓をめぐる何の名も

不二と名をおひて   

   天池に

   くしき岩きし世のなかに

   かしこき瀬浪はやくより

   音にはきけどその山の

いまだみぼらず 

其川も 

わたりて見ぬをうつしゑの 

筆の流れにかきやれる

川の瀬音みれ其のさまも

行き見し如く其のおとも

今ききなしてともしくも

 おもはゆるかも是のうつしゑ

  天地にひてし高嶺の麓川

又世の中に浪もかしこし

 

此の主と何くれ物語するほどあるじもかへりきぬ。

よろこびて夜のふくるまで物がたりす。

あるじの家の名河間亭といへり。

おのれやまとよみに川俣の屋とよぶべきよしいふ。

そは此の田中の里は、にひ川とおも川とあはひ(間)にて

末は笛吹川におちふ也。

さて川俣の屋のたゝへ哥詠みて主にあたふ。

 なまよみの甲斐のくぬちのあし曳の

山梨あかた山川の 

数ある中ににひ川と 

おも川あひて 

音清き 

笛吹川はながれいる 

其川俣にうまし家 

ほめてつくりていく薬 

家につたふる真心を 

鏡のぬしいふる言の 

まなびの道にはやくより 

心深めぬ今よりの

流て後も常滑に 

たゆることなく

 滝浪の 

さやけき名をし四方にきかされ

 

 廿八日 

 

雨いさきかふりてほどなくやみぬ。

ひひとひ日影見えず。

今日はあるじあないして塩の山さ

さし出の磯のあたりへとそゝかす。

貫斎の息徳兵衛といふが是も案内す。

まづ東小原なる早川広海をとふ。

久老神主にしたがひて吉言まなびせしぬし也。

近き年ころはおのがもとへ消息して、

何くれの事らとひきく也けり。

是も待よろこびて、

いざたまへといへば、

さらばとてともに出たつ。

国秀・啓行従者とともに八人なれば、

にぎはヽしく打かたらひものしつゝ、

おも川の柴橋をわたりて、

十余町ゆけばさし出の磯にいたりぬ。

のぼるべき道はあるを岸づたひに木の根よぢのぼるに、

齢しともさかしく、いとくるし。

草とりかれはなどふることいひつ大息あへぎあへぎのぼる。

わづか一町ばかりなれどいたくこうしたり。

さし出たる塙(はなわ)のうへに金毘羅神まつれる堂あれば、

こゝにいさきかいこひて、

小竹筒割子やうのものとうてき人々まうほりのみくふ。

見おろせば笛吹川の流広らかに岩きりどほし行浪いと早し。

こヽのさし出の磯ははやく契沖阿闍梨の、

勝地吐懐篇にわきまへおかれ、

雨岡の槃游余録にもくはしくいへれば、

今さらいふべくもあらねど、

季鷹新生の不二日記には虹がたりいにしへは、

水海にてありしがあせて今は田畑となり、

笛吹川のみ其なごりとて流るきならん。

さし出の磯とよめるは、

其湖にさし出し磯なりしにやといはれたれど、しからじ。

今おもふに磯といふは、

広き河には海潮ならでもいふべし。

長方中納言の沖す汐のさし出の磯とよまれ

範兼卿のみつ汐のさし出の磯とつゝけられ、

源俊平のみつ汐にひかれても又だちかへれと見ゆなどは、

甲斐の国の海なき所にてはいかでかはよまるべき。

猶、契沖あさりの平家物語をひかれたるによりて

越中塩山のあたりとやいふべからん。

 

磯の名のさしでこゝともしられねど

むかしのあとゝきけばゆかしき

 

人々もよめれと例のもらしつ。

八幡村にいつかれおはす窪八幡にまうづ。

みたらしのさま、そり橋のかだち、拝殿本社いとめでたし。

ここぞ式内大井俣神社におはしける。

此近き水宮といふ所におはす神社をも大井俣神社

おはすよしいふ人あれど、

八幡村なるは所のさまふるくめでたく見ゆれば、

うたがひなき大井俣におはすなるべし。

藪陰にいさゝか清水ながるゝを玉の井といふ、

和名抄郷名のなごり也とぞ。

こゝの神主鶴田正恭は早川広海が兄也。

去年江門れに来て」おのがもとをとひたれば知れる人也。

広海あないしたればあるじ出むかへ、しばしものがたりす。

こゝより山路にそひて、恵林寺にいたるまで、

笛吹川麓をめぐりて、流いとさやけし。

 

おとにきく笛吹川は天地のおのづがら

なるしらべなりけり

 

南にあたりて七彦郷といふ所あり。

今は七日市場といへり。

水久四年(一一一六)百首七夜の歌に、

後顧、

君が代は七ひこのかゆなゝかへり

いはふことばにあはざらめやは

と見えたるなゝひこのかゆは此七彦郷の米もてたきたる粥にて、

産やしなひ七夜の粥に用ふること也と。

『歌林拾葉集』にいへれど、

おもふにそはしひて思ひよせたる後の人のおしあてごとにや。

その由は此歌『夫木集賀部』に見えて、

此歌二の句長彦のかゆと有。

君が代は長とつづけたれば

長彦のかたをよしとすべし。

長彦は年長彦とも見えて古事記に見えたる

大年神御年神とおなじく田なつものを

まもり給ふ神を申奉るにや。

さらば長彦の稲とは年長彦のまもります稲といふことならん。

夫本集賀に源後兼、 

 

かぞふれば数もしられず君が代は

長田につくるながひこのいね。

 

又夫木衆里匡房

くらかきの里になみよる秋の田は

年長彦のいねにぞ有ける。

 

又、夫木集 藤原正家

 

はるはると年もはるかに見ゆるかな

なからの村の長彦の稲。

 

など見えたる。皆おなじこと也。

七彦といふは後人のおしあてごと也とおぼゆ。

恵林寺にいたりぬ。名だたる大寺なれり。

夢窓国師の開基にて、

近くは武田家代々崇敬の寺なりしを、

天正十年(一五八二)武田家ほろびうせしころ

織田家にやきこぼたれ、

快川国師をはじめ九十余人

やきころされたるをり其骨をうづめしあととて故よし

ゑりつけたるいしふみたてり。

両袖の桜とてふた木山門の右左にあり。

信玄ぬしの歌を物にかきてかたへにたてたり。

此寺の他山は夢窓国師のつくりおかれたるまゝこいへり。

今はなかはつくりそへたれど、

なほむかしおぼゆる石のただずまひふるびて

をかしごされど所せく見わたしなくて

筥根山のふもとなる長興山の庭より見れば、いたくおとれり。

信玄ぬしの像とて高さ五尺ばかりなるありときけど、

今日はあるじの大徳ほかありきせりとて、

見ることゆるさねばせんかたなし。

像は不動尊のかたちなりとぞ。

こは信玄ぬしのおとこ逍遥軒のきざめるにて、

信玄ぬしの深く思ふ所有て

不動の形には座はませたりとかや。

もし肖像にてあらんには、かたき国中に乱れ入りたらんをり、

打も砕かれふみも汚されなん。

不動尊の像ならんにはさること有まじ、

とてもの心がまへ也しならん。

爰より西北に当て藤木村(塩山市藤木)といふに、

高橋山法光寺迪いふ寺あり。古鐘ありて。

  

甲斐国牧庄法光寺

   奉鋳知鐘 一口

  建久二年 八月廿七日

遠江守源朝臣義定

  

かく彫り付けあるよしきゝおければ、

いとゆかしくてゆき見まほしけれど、

そぞろありきに春の日もやきかたぶきたれば、

心にまかせず摺ておこすべきよし

広海真文のふたりにあつらへおきて、塩山にまうづ。

こゝには唐の金山寺より将来の銅盤あり。

 

わたり一尺五寸六分

あつさ六分

   淳煕三年十二月十二日造

 

とゑりつけたり。

こもすりとらまほしかれど、よろづあわただしくて

又真文にあっらへおく。

鐘はすりとりたり。(略)

また半鐘あり。本堂にかけたり。

 鹽山向岳禅庵僧堂前

文安五年(一四四八)十月十五旧

 

さて十町ばかりかへり来て、

於曽村といふに菅田天神のみやしろあり。

和名抄山梨郡の郷名に於曽とあるはこゝなるべし。

この社に名だたる楯無の鎧納めありと聞おけるに、

広海真文などともなひたれば、

ゆきて見ん事いとやすかりけるを

、曰くれぬればいたづらによそに過行。

広海にわかれて栗原のすくに出て、小出好古がもとをとふ。

明日真文がもとにて歌よむべしとちぎりおきて

真文がもとにかへりやどる。

けふ広海かりとへるをりあるし

万葉集なる大伴仲郎と石川女郎との贈答の歌の心を

画がきたるとり出し歌乞へれば

真文かりもてかへりて燈火のもとに筆をとり、

かいつけたる長うた、

 

君こそはおぞのみやびを宿かさず

かへれといへばいまたたでしれたるを

みなわれこそはまことみやびをやどさぬに

思ふ心ありといにしへの心詞のみやびたる

男女のいひいどみあひかたらひし、

そのみやびこと

 

*廿九日 

ていけよし。

今日は三月尽なればやがて其心をけふのまどゐの題とす。

長歌ものしたり。後のすがたにていとあしけれと、

 

一と勢のまなびの書の数々の、

あらましことも菅の根の長き春日に大かたは、

ことなき事と思ひしを、

たゆまずながら正月たち、

きさらぎ過ていつしかと、 

やよひのはての今日の日と、

なりにて見れば何ひとつ、

なし得し事もなかりけり、

おもへばあやしさらばとて、

今より後の三っもゝち、

残る日数をいとせめて、

あだにはなさじ年月は、

いる矢のごとく人の世は 

ひまゆく駒ぞこゝろして

人もつとめよ 

我もたゆまじ

 

花さかぬ言葉の園をたどるまに

いつかことしの春も暮ぬる

 

栗原村なる小出好古・河野通・井尻村なる依日秀長、

小原なる早川広海、土塚村の刑部宜風など、つどひ来れり。

吉日の里よりしたひ来れる国秀・啓行、

又あるし真文がちからとなりなる佐藤達雄、無端といへる老人ら、

これからまどゐして日ひとひ歌よみ物がたりし、

筆とりくらしつ。

 






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最終更新日  2021年12月31日 12時08分25秒
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