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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年12月31日
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清水浜臣 「甲斐日記」御坂 府中 市川 身延(3)

 

丸山光重氏著 

一部加筆 山梨県歴史文学館

 

 

*四月朔日 

 

くもりて雨をりをりふる。

今日こゝをたちて市川へとおもへるを、

雨にさはりてえいでたたず。

今日は石森社にまうでて栗原村なる小出奸告がもとに歌よまんとす。

例の人々かいつらねて出たつ。

石森といふは日中をはなるる事十四五丁ばかりにして、

田畑の中にいさゝかの森見ゆる也。

人て見れば大きさ二つゑ三つゑに余りたる大石、

ことづかさなりあひていく疎薄となくたてり。

又松ともいづれも七つゑハつゑにあまれるが

土もなき石のうへに根ざし、

又は小松のをり石間にはさまりおひたるが、

老樹となりて、根ちとせまり末ふとらかなるもあり。

か乃勺田中の石なき所に、

こゝしき大石どものむれたてるがいとあやし。

此石の名どもはたちばかりしるしつけて、

ことごとしく宮のまへにかゝげたれど

近き頃の人のわざと見えて、其名どもひなびたればしるさず。

里人のつたへ事とていへるを古くに、

神代のむかし某のおうなといふ有けり。

塩山とその石森の岡とを麻柄を

あふことなしさしになひ来りしが、

麻からのあふこたへずや有けん、

なからよりをれて、

二つともつちに落たるが塩山のおもたる所は

土かたくて地に人ことすくなし。

こきは日中にて土いとやはらかなりしかば、ながらは地に人たり。

されば塩山よりはいたくちひさしといへり。

かゝるあとなしこといひつたふるは、

田舎人のならはしにて、

聞耳ちいとうるさくしるしつくるもをこなれど

天香久山のつたへなどをおもふに、

古老のいひつたへにやあらん、

風土記などいふものは皆かゝるのみぞかし。

あながちに賢しかりいひけちぬべきにもあらずや、

此岡にのぼりてよめる長歌

 

うちわたす日中の原にしみたてる 

岡の小はやし里人の 

つたへはあれど

  いにしへの 

書にも見えずその名をぱ 

石森とおひて辻社 

いはひまつれり此をかの 

くしきあやしきよそめこそ

さゝしく見ゆれのぼりたち 

わかよく見ればもも千曳千曳のいはほ百ばかり 

いはみむれたちいはかねに

根させる松も百千本 

千本しけれりくしきかも 

あやしきかもやいかにして 

田中の原にこゝしかる 

斎つ磐群のい斎むれたち 

斎むれなすらんそこもへは 

くしくあやしゝこれの石森

   此森の岡のいはむら神世より

神さびけんか是のいはむら

 

広海はさりがたき事ありとて、こゝより東小原へかへる。

栗原にいたりて人々とともに、

庭の本草を題にわかちて、歌よむ松を。

 

引植し庭の若松枝ふりて

杖つくばかり老にけるかな

 

平松にてはひさしたる枝ともに杖おほくつかせたれば也。

あるじの家の名を松の屋といふも、

此松によれる名なるべし。

野呂村守国明神の神主古屋栄義、

等々呂伎村加藤隣徳、土塚村刑部長博とひ来れり。

すべて十人にあまれり、

こゝにても人々にこはれて筆とることおほし。

あるじみやびたるをのこにて、笙の笛もたり、

こはるゝまゝにふきすさびぬ。

日くれて加賀美かりかへりやどる。

 

*四月二日 

 

空晴たり。

今日は市川までおもひたつ。

真文もともにといへれど、

さりがたき事出来て村はづれまでおくりて別れぬ。

真文・広海長歌よみてわかれををしか。

人々ゆくもとどまるもおほくよみつらねたり。

おのれもおばくかへしたれど、あまりことしげければかきぬ也。

にひ川(日川)を南へわたれば又八代郡となる

石禾(石和)のすくにいたる和名抄に見えたる郷名也。

此宿を過て笛吹川を北へわたれば又山梨郡也。

甲府にいたる道 和戸村の西南一町ばかりはなれて田の中に

いさゝか高くつきあげたる塚三つ四つあり。

ここを在原塚とよびて在原滋春の塚也といふ。

滋春の甲斐にて身まかれるよしは、

『古今集』・『大和物語』に見えて人よく知れり。

まこと其つかにやあらん。

琴塚・琵琶塚などいふは滋春がもた

るをうづめし塚也といふ。

一町ばかり行て国玉神社にまうづ。

大国魂をまつればかくいへるか、

式内の国諸神社これなりといへり。

酒析の社にまうづ。

聞しには劣りて所のさまもか神々しからず、

宮居もつきづきしからず。

近き頃、出郷大弐(山縣)といへる

はかせの物したる石碑をたてり。

江門のかたのなかかつしかのあづまの森にも、

此はかせのかける石ふみあれど、

此はかせは世にはゞかることありて、

東の森なるは後の人けづりそこなひしを、

こゝなるはさかひへたゝりたるけにや、

誰とかむるものもなくて残れりけり。

  (同碑略)

 

社のうしろ山づたひして善光寺にまうづ。

岨(そば)かけに鳥居たちて、

国諸神社といふ道しるべの石あり。

さきにいへる国玉神社はじめはこゝに有りしとぞ。

こゝの善光寺は信濃なるをうつせるとかや、

上人は去年江門に開帳といふことすとて出をられしをり、

人してとかくあないしいはせられし事ありしかば、

とひきこえぬ。

しばし物語して甲府にいたり、

今の城より二十丁ばか北に信玄ぬしのすまはれたる、

つゝしか崎(躑躅が崎)といふ所の古城のあと見にゆく。

いと荒れたれど、

石垣二重三重にたかく残りたり

国々に城あとといふ物おほくあれど、

かかるばかりうるはしう石垣残りたるはなし。

いと哀におぼえて、

  此崎に名のみ残してつゝじ花さかえしあともむくらおひにけり

逸見小笠原などいふ牧の名の残れるは西北にて、

信濃国へこゆべき辺也。

西に駒がたけ・鳳凰山・自嶺などたかくそびえたり。

鳳凰山はいただきの岩のうへにこがねもて鋳たる

三寸ばかりの衣冠したるかたちの像ありて、

鳳凰権現とあがめ、

奈良法皇のみかた也といふ里人のいひつたへしは、

むかし奈良法皇此国にさすらひ給ひて、

此山にのぼり都をしたひ給ひしより法皇が岳とはいふ也。

西河内領 奈良田といふところに、

法皇のすませ給ひし行宮のいしずゑあり。

此法皇と申すは弓削道鏡ならんといへり。

されど続日本紀に道統は下野に流され

薬師寺の別当となりてをはりしよし見えたれば

此の国によしなし。

いづれの法皇を申すにやと名勝志にはいへり。

おもふにそはいかならんしりがだけれど、

今此国にかぎりて用ふる升は三升を一升とし、

三合を一合とさだめたるが、

其升にはかならずかゝる焼印をおす事也。

これは武田家のさだめにはあらで

いとふりたることのよし聞つたふ。

さらば此焼印もかの法皇の御さだめの

なごりにはあらぬにやといふ人も有けり。

白嶺は麓まで雪のきえぬとかや、

高さは

いかで不二のねにおよぶぺき。

不二だにも水無月の空には消はつる雪なるを

此白嶺のみふもとまで消ぬはいかにそなれば、

不二はとしごとにこゝらの人々六七月のあひだに、

いただきにのぼることにて。

麓めぐりに里々おほくさかえて、

竃にぎはひけぶりだゆる時なれば、」おのづからひとけちかきにより

雪もなごりなく消るを、

しら嶺は麓十里許がほど人あと絶たる高嶺にて、

ましていただきにいたる人たえてなき事なれば、

人けとほくて、雪の消ぬにやあらん。

 

府の町を南へさしてゆく。

一蓮寺といふに正木稲荷といふあり今日祭なりとて、

いとにぎはゝし。

かり屋どもしつらひて、

刀玉ゆざはりなどわざとするものどもおほくつどひて、

庭まゐりの人々たちこみたり。

いささか過来て高畑下石田のあたりよりは巨摩郡となる。

一里ばかりゆくに、

わが心ざす市川のあがたつかさの、

下司なる小原広養父あひたり。

いづくにおはさんとするなとはれて、

そこへこゝろざしといふに、

あきれて、さらにしりはへらず、

いかにせんおのれは東小原なる母の

此の四五日おのがもとにものせしをおくりて

府までゆくなりといふ。

さりとてこゝより府へもどるべきならねばわれ人ためらふに、

広養父さらば明日とくかへりて見えまゐらせん。

こよひは旅屋某がもとへやどらせたへとてふみかきてつく。

広養父にわかれて十町ばかりゆけば、

道のかたへ西条村といふに義清の宮とてあり、

こは新羅三郎の三男にて

嘉保二年(一九五)北国へ流されおはしたりといふ。

此ぬしは市川を氏とせられしなり。

塙村(現田富町)に内藤某といふ農夫あり、家とみさかえたり。

此人部郡谷村なる森島其進といふ人と心をあはせて、

『甲斐国志』といふ書百余巻をあらはせりとぞ。

ここ包過て市川の里にいたる。

此里の御崎神社は式内にはあらねど

いとふるくかうがうしき神社也。

ここの神主市川別当行宣といふは、

義清ぬしの正統にて数十代うみの子つぎつぎにつたはりて、

今のあるじも弓射るわざをよくして、 

もののふの道に心いれたるぬし也。

ここの文庫には古き物ともいとおほしと聞しかば、

ゆかしくて鳳風此家のあるしとしるたよりあれば、

あないさせぬ。

明日おはしましね見せ奉らんといふ。

けふは小原がしるべしおこせたる旅屋某がもとにやどりぬ。

此里中に流るる川を芦川といふ。

ここの市川の里のみ八代郡にて鰍沢よりは又巨摩郡なり。

 

* 三日 

 

天気よし。

鳳風あないして市川別当のもとをとふ。

あるし出むかへて何くれとあへしらぶ。

家につたふるき文書とも見せらる。

性空上入並弟子たちのかけりといふ大般若経のちり残れる。

又東照大神の武田勝頼ぬし討たせ給ふとて

右左口よりこの国に乱れいらせ給ひしをり

御かりやより掘出たりとてふるく朽残りたる陣刀と、

轡とあり。

此轡かたち常とはかはりていとどもふるきものと見えぬ。

建治年中(一一七七)市川別当五郎源行重

十五歳の作といひつたへたる弓だけ七尺五寸あるもあり。

其ほか何くれとありしかどさまでゆかし音むなし。

あるじのこふままに眉根などかきてあたへつ。

さてここを出てむかひなる薬王寺といふにまうづ。

見わたしいとおかしき所にて、麦畑ごしに芦川のながれ清し。

寺も山門石垣うるはしし。

旅屋某かりかへるに、真文好古のふたり田中栗原よりとび来れり。

奸古はさりがた音事ありとて、やがてかへる。

真文は打つれて小原かりとひゆきぬ。

あるじかへり居て待よろこびかたらふ。

盃とりてもてなすに、夜いたくふけぬ。

 

  旅こして都おぼゆる嬉しさは

    なしてこたへしことのくやしさ

 

と聞えければかへしとにはあらで、

あるじ

  待えつつ君がとぶ日を門さして

なしとこたへしことのくやしさ

 

おもひつつあふよみしかきあし川の

浪はわかれの袖にかけけり

 

あるじしひてとどむれと、猶行べき先も遠ほければ、

又来訪ふこともありぬべし。

明日はまづ身延山へ心ざし侍るべしとて。

 

二たびと契りおかずばいそぐとも

今一日とはいはましものを

 

こよひも夜ふかして枕とる。

 






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最終更新日  2021年12月31日 12時12分13秒
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