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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年12月31日
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*四日 

 

天気よし。

広養父かりいでて真文鳳風は田中大塚へ帰る。

おのれは身延山へと心ざす。

国秀・啓行はなほつきしたがへり。

十町ばかり西南へゆくに大門村(現市川大門町)に弓削神社おはす。

式内の神にて、式にも八代郡に見え今も八代郡なるを

古本『日本後記残篇』には、

延暦廿四年(八〇五)十二月乙卯

甲斐国巨摩郡弓削社鎖官社以有霊験也とあり。

郡さかひいとちかき所なれば、時によりて堺のまかへるにや、

いぶかし。

鰍沢より荒川と笛吹川と落合て富士川と名かはる。

啓行足をそこなひたりといへば、

こゝより舟にのせて富士川をくださす。

おのれは国秀と従者と川にそひたる崖地をゆく。

舟路は浪かしこく坂路は岩さかし。

たがひに見かはしてゆく。

めずらしくをかしきふしも又たがひに有べし。

岸の岩手に棹さしあてこ早瀬をめぐらしゆく。

流れあれば岩の狭間をきりひらきて

くぐりぬくるやうの所あり。

舟ははやくくだりつきて、陸路はおくれたり。

下山の宿の北に早河といふ流あり。二瀬にわかれたり。

一瀬は人の肩をたのみてわたりぬ。

一瀬は流のはげしさたとへんにものなし。

ただ日浪のたぎりおつるばかりにて、水の色を見ず。

川原のこなたかなた水けぶりきりあひて、袖をうるほす。

舟の船にふとき麻縄を二筋づつむすびつけて、

川むかひに二人づつたちて、

此縄を取もちて引ゆるむる。

すなはち舟の川下へ流るゝこと一町ばかり中には

舟人二人棹させと浪のいきはひつよくて、棹さしあへず。

岸なる四人引つくるに滝浪のおとしかゝるさま、

おそろしともおそろし。

おのれこゝかしこの旅ありきして、

あまたの早瀬わたり見しかど、

かゝるばかりになるは見し事もなく、わたりし事もなし。

市川のあがたつかさへ、要のことありて行し也といひしかば、

わたしもりら心のかぎりいそし乱れたるだにかくこそはあれ、

大かたの旅人いかにわたりなやむらんかし。

とかくしてむかひの岸へ引つけぬ。

うれしさいはんかたなし。

舟路も此川のおちくちの水さきに、屏風岩といふありて、

こゝの瀬いとおそろしとぞ。

未のさかりに身延山にいたり着きぬ。

身延はいにしへは蔓生とかきしなるべし。

蔓は草の名にて延喜式新撰字鏡・和名抄などにも見え、

生は浅茅生蓬生の生にて草おひのさまをいふ詞也。

此草の葉もてつくれば衰をもやがてみのとはいふ也けり。

西行上人の

 

雨しのぐみの里の柴垣に

すだちはじむる鴬の群

 

とよまれしも衰とつづけられたり旅屋をさだめおきて

まづ羅漢閣を人で菩提梯といふ石階三百余段をのぼり、

白毫楼にまうづ。

本堂祖師堂位牌堂いと大きやか也。

本堂に古鐘をかけたり。

文字はなけれど千歳の古物とおぼゆ。鐘

楼法鼓宝浄翁そのほか燈箭幾十基といふ数をしらず。

位牌堂のかたへの板葺より通本橋をわたる。

光悦の筆して通本橋とかけるをかゝげたり。

谷の底に水かすかにひびきて杉の梢を見おろしつきねたる。

香積厨といふ庫裏也。

桧皮葺の軒の大きなる棟木の太さ聞しにも優り手て驚かされぬ。

今日は日も山の端にかたぶければ、かへりて旅犀にやどる。

 

*五日 

 

朝日さしのぼるにおどろかされてあゆひつくろひたちいづ。

羅漢閣のかたへより奥院へゆく。

其の道に坊とも数おはし。

鬼子母神 大黒天 三光堂 鉄仏などかぞへつくしがたし。

五重塔ことにうるはし。

 山路五十町といふ、富士見坂といふより、富士能く見ゆ。

 奥の院なる思親閣に至りつきぬ。

ここぞ日蓮上人の遺骨を納め所なる。

艸山不可思議な髪も此の堂の柱に結ひつけありといへり。

堂のうしろより西谷へおりて七面へまうづべき一の鳥居にいづ。

七面をばはるかにをがみおきて、くれ橋を二つ渡りて、

沢にそひくだれば涅槃塔にいたる。

こゝに日常母堂日得塔ならびたてり。

釈迦堂のまへに杓子石あり。

又沢木にわたせる橋を過れば談所にいたる。

善学院といふあり。

此みぎ左に月の 寮雪の寮竹の寮柳の寮などいへるあり。

とかくめぐりめぐりておりはてぬれば、

羅満閣のかたへに出たり。

旅屋へかへり物くひ、よろづとりしたゝめなどして、

こゝより国秀・啓行にわかれぬ。

ふたりは吉田へかへるなりけり。

わきて国秀は肛門よりともなひてけふまで十

八日があひだともなひなれたれば、わかれがてにす。

されど二人ともに浅間のみやしろ恒例のまつり、

卯月の初中にて今月は十一日なれば

巳の日より神わざありとて、いそげばとどめがたし。

二人とも歌多くよみつらねて、わかれをしみあへり。

身延山の惣門を出、南部を経、万沢にいたる。

山に登り沢に下り富士川のかたそばをつたひゆく。いと歩み苦し。

すべて山のそばかけを此あたりの里人は尾根といへり。

をは尾のをのへの尾にしてねは根なるべし。

こよひは万沢にやどる。

 

以下十六日まで、静岡に出て東海道を江都に帰るまでの紀行である。

「おくがき」に、

 富士の高ねのみ心たかきみ筆づかひを、

裾野の原のひくきおのれらあふぎいふべきにもあらねど、

甲斐の白ねのしらざりし事ども

河口のうみの心ふかく考へたらしたまへれば、

つるの郡の千とせののち、

 かひの三坂くだれる代まで道のしをりとこそいふべかりけれ。

甲斐の国中行見んとする人はさら也。

 さらでも書のはやしに分いらんと思ふ人たち、

此日記よまずやはあらべからん。

ことの葉の道をたどらんと思ふともがら、

此日記を見ずやはあるべがらん。

 

と記されているが、

続日本紀・和名抄・東鑑等々を根拠に歴訪した

名所旧跡とかかわって考証があり、

いろいろ参考になる紀行文といえよう。

 

甲斐叢書第一巻、甲斐史料集成第三巻(日記紀行篇)

に編集されているので一読してほしい。






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最終更新日  2021年12月31日 12時14分08秒
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