カテゴリ:北杜市歴史文学資料室
もう一つの国 万ほろば 甲斐の国
古屋照子氏著
一部加筆 山梨県歴史文学館 清水
今年もいよいよ押し詰まってまいり御多忙の事と存じます。寒さも一段ときびしくなりましたが御一家皆さま御元気でお過ごしですか。 年の瀬も追って急にお訪ねしましたが、この旅は心に深く残るものがございました。汽車の窓から雪を頂く八ヶ岳の雄大な山容を見ました時は思わずその崇高さに心が清められるようでした。 刻々とこの山に近づいて行く事に心がしびれる様で特にあの日は快晴でした為、富士山、駒ヶ岳までが蒼空に鮮やかな山容を現わしており、各雄大なる雲山の美しさにじっと眼をこらすばかりで御座居ました。御長男さんからかねて八ヶ岳の素晴らしさは伺っておりましたが、長坂のお宅様の前に伸びやかに稜線を描いて全容を現わしている八ヶ岳を眼にしました時は、小尾家が尊い祝の家柄である事がよく分かりました。奥様がこの生家、こうして甲斐の国に熱い愛着を持ち、古き歴史を尋ねて文献を調べ世に出されん御心情も実に尊いもので、その決意も神職の家の大兄なればこその感を覚えました。 以前より時折、お目にかかっていたのでしたがこの度はからずもお家に御邪魔出来ました事を嬉しく思っております。沢山の資料を集めておられるとの事ですが、一つの書物として順序よく整理します作業は意外に大変なものですので、かなり時間がかかるのではないかと思います。 しかし幸いにも、よき協力者の多くおられることは何にも勝さる力頼みと存じます。 題名の「もう一つの国 まほろば 甲斐の国」は直感的に頭に浮んだことですが、大和の古代人は、倭嬢命が「大和は国のまほろばただなづく青垣山こもれる大和うるわし(記紀)」と歌ったようになだらかな垣をなす青い山脈にかこまれたひっそりとこもっている大和の国を愛し てやみませんでした。けれど甲府盆地は大和のなだらかな山とは違い富士山、八ヶ岳、駒ヶ岳など強烈な山容を持つ同じ盆地帯です。それだけに古代の人の心を魅了したであろうことは想像できます。 「まほろば」の「ほろ」は「ほら」で洞の事、「ま」は「見事な」という意味、「ば」は所を現わしており国の中心をなす美しい場所という意味でございます。また奥様のおっしゃった蔵古館創設の構想は確かに素晴らしく意義深い事と思います。御成功をお祈り致します。
昭和五十八年十二月二十五日 題名をつけて下さいました古屋照子様のこの土地に初めて一泊された御感想のお手紙を序にかえさせて頂きます事をおゆるし下さいませ。
二 古屋照子様と私の出会い
この度の私の本の題名を附けて下さいました古屋照子様、 「女人 女性」仏教史を彩る日本女性)昭和五十一年四月十日初版発行。 「続女人まんだら」昭和五十八年九月一日発行。
略歴 一九二四年 仙台市に生る。 帝国女子理専卒、慶大文学部中退。 鍼灸理療学校卒、 著書 「華やぐいのち「詳伝岡本かの子」現住所武蔵野市吉祥寺
古屋様のご父母の生家は塩山市、恵林寺ではないがその近くのひっそりとしたお寺、祖の菩提寺に彼岸などには訪れるそうです。 当家次女の嫁ぎ先の山中家は、日本酵素研究会(京都市、木村博士研究所)で難病の方々の治療所を営んでおります。その治療所に当家長男(鍼灸理花山学園卒)がアルバイト中、古屋様もお手伝いにみえておられ、その合間に女人まんだらの執筆をしておられました。その頃、私は古屋様とお会いしたのです。 瀬戸内晴美さんの弟子です。 三、四年前善光寺尼さん達と渡欧し、NHKテレビにも出演されました。現在はアメリカで翻訳されて好評だそうです。 前々より「女人まんだら」には、私も奈良時代平安朝時代の仏教を信仰した貴族なる女性の真相はかなり参考にさせて頂きました。勝沼大善寺に訪問、武田家女性松姫遺児の女達を連れて八王子に至り、蚕と織物をこの地の人々に教え八王子銘仙研究、現在信松院(蚕の神様)になっているとのこと。
この序を浅草寺清浄香所に於て、清水谷恭順識なる方である事、(浅草観音様は花水坂下大堂)観音様〔横山太郎(清水氏)〕が持ち行きましたこと、私はこの度この連りに愕然としています。 山中家も祖は山中湖村出身茨城県まかべ加茂という所に長慶天皇みささぎと共に移った族…… 東京青山高樹町に日赤病院入口京呉服店経営の為長男山中一郎氏上京に始まり、その頃私が日赤在学中の時の事。店にやとった子弟十人を教え主に甲府より上野原あたりの、そして夜間中学や女学校に通わせたという。終戦後戦災に会い、古屋さんの住居、吉祥寺で例の研究会武蔵の支部長であり、患者はやはり山梨県から現在患者多く、山梨市万力の山下家の方々とは私も何度も御会いしている。 長女の方は小関雄司氏の甥と結婚川崎家、柳沢エゴエゴ節、九州島原民謡、松山久万民謡(九州のは小関氏変曲という)。私からみると古元は特に祖は同じ同族である。たましいの流れを思わされる。 山中家現在中野区上高田研究所あり、それが又竜楽寺が近くにあり、柳沢吉保の正室定子の里方曽雌(そし)菩提寺(韮崎保坂に現在此の姓あり)、武川衆(そし)という。側室染子の墓がある。出雲島根の山中のこと。詳しくは尚後編に記すが、何か不思議な縁の山中家である。 私の本は当家古文書、古本につながりのある出会い、ふれあいから生れるのである。
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最終更新日
2022年01月05日 04時18分07秒
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