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2022年01月31日
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カテゴリ:山梨の歴史資料室

山梨県の歴史 米倉騒動と太枡騒動

 

 『山梨県郷土史研究入門』山梨県郷土研究会編

  山梨日日新聞社 平成四年刊

  一部加筆 山梨県歴史文学館

 

米倉騒動は寛延三(一七五〇)年七月山梨郡万力筋諸村、八代郡十六ケ村の農民が蚕・煙草の新規運上出願人の米倉村平七宅を襲撃し、運上の撤回を求めて起した農

民運動である。

 騒動に関する記録は『甲陽米倉騒動記』『甲斐国八代郡米倉騒動実記』『甲州八代郡米倉村騒動記(平七騒動実記)』、『米倉騒動実録記』、『米倉村騒動』、『甲斐掻藤物噺』が確認されているが、信頼度の高い記録は宝暦三(一七五三)年成立の『甲陽米倉騒動記』と言える。

 研究としては、

野沢昌康「米倉騒動発端の一史料」(『甲斐史学』第一号 昭三二)、

林貞夫「米倉騒動について」(『甲斐史学』第八号 昭三四)、

竹川義徳「山梨農民騒動史(三)―米倉村騒動-」(『甲斐史学』第二一号 昭

三五)

などをその先駆的業績として列挙することができる。

その後、騒動の発端から事件後の処断に至るまでの経緯について本格的に考察したものに

飯田文弥「米倉騒動(上)(下)」(『甲斐路』三七号、同三八号 昭五五)がある。

同稿ではまず、東郡の産業構造を養蚕業と煙草生産を中心とする商業的農業の先進地域と位置付けている。次に、騒動の性格を新規運上徴収請負によって特権化しようとしていた在地商業資本家に対する生産農民の蜂起という新しい型の農民闘争であると分析している。

さらに、運上請負の願出は政策転換(従来の年貢増徴政策から商業資本への依存)を模索しつつあった幕府に対して新たな収奪の為の経済的基盤を提供することになり、ひいては幕府の政策転換が百姓一揆の質的転換を惹起すると示唆に富む指摘をしている。

 大枡騒動は寛政四(一七九二)年十二月田安家の課税強化に対して東郡五四ケ村の農民が蜂起した一揆である。

 騒動に関する歴史叙述は古くは『東山梨郡誌』(大正五年)に見ることができる。同書に依れば、田安代官所の勘定方役人山下治助か新枡である「大枡」を使用して年貢取立てを強化した為に、熊野村勘兵衛が綿塚村重右衛門や金田村重右衛門と謀議し、やがて領内協議の上、山下治助の非行を寺社奉行に強訴した。その結果、山下治助は追放され、騒動の指導者を獄門以下の厳刑に処して事件が落着したという。また、水上文淵は『義民重右衛門事蹟』(大正十二)を著している。以後、太枡騒動に関する研究は前掲二著を出発点として展開された。

『勝沼町史料集成』(昭四八)は昭和三年の「甲州寛政義民建碑」運動の際、蒐集された騒動の関係史料を紹介している。

戦後、竹川義徳「山梨農民騒動史(四)「太桝事件-」(『甲斐史学』第一三号 昭三五)は事件の概要を述べ、事件の直接的原因を山下治助に求めつつも、山下治助一人に原因を帰すことに疑問を抱き、前代官横田平五郎、新代官山口彦三郎時代の悪政(収奪強化)が原因であると結んでいる。

 

騒動の舞台となった田安領の経済分析から問題への接近を図ったものに

有泉貞夫「維新前後の領主支配と農民諸階層-甲州田安領について」(『史

林』第四四巻「号 昭三六、『甲斐近世史の研究(下)』に収載)がある。

同稿において太枡騒動を次のように説明している。

 

代金納化の進行に伴う本年貢の実質額の減少に対して、農民の土地への縛り付け、貨幣経済の浸透の防止、現物形態での収奪強化という純粋封建反動政策が実行され、農民の強力な抵抗に直面したと論及している。補足ながら同稿は甲州農村の解明に貴重な視角と成果をもたらし、高い評価を得ている。

昭和五三年十二月には、

弦間耕一『寛政太枡事件』、

飯田文弥『太枡騒動』

が相次いで刊行された。前者は事件の全貌を図解入りでテーマごとに明解に解説している。後者は田安領五四ケ村惣代より神社奉行立花出雲守に提出された訴状では十ケ条よりなる田安家支配に対する糾弾があり、なかでも見平均なしに四方詰めの坪刈りを行なうなどの新規の仕法による領民搾取の強化が騒動の原因であると言及し、収奪強化の企図を寛政初期に求めている。また、同書「あとがき」には詳細な騒動研究史を載せている。

 さて、米倉騒動と太枡騒動はその性格・型においては相違しているが、一揆が発生した社会的背景には共通点があった。それは、農村部における貨幣経済の浸透・発達である。農民運動の本質的な解明には前述の飯田・有泉両氏のように、村落をめぐる政治情勢・経済構造、それに対応する領主側の政策、その結果発生する領主と農民、農民内部の対立・矛盾などを分析・検討する視点・方法が重要であろう。また、両騒動の研究において関係市町村誌を必携書として追記しておく。

                    〔篠原 誠氏著〕

 






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最終更新日  2022年01月31日 09時19分45秒
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