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2022年01月31日
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カテゴリ:山梨の歴史資料室

山梨県の歴史 天保一揆(郡内騒動)

 

『山梨県郷土史研究入門』山梨県郷土研究会編

  山梨日日新聞社 平成四年刊

  一部加筆 山梨県歴史文学館

 

 天保四年(一八三三)と、それに続く同七年の飢饉の中で、七年八月郡内諸村の国中への米借りを契機として発生したこの一揆は、これに続く「三河加茂一揆」、翌八年の大坂での「大塩の乱」、「柏崎生田万の乱」などとともに、幕藩体制を根底から揺がすものとして、当時から多くの記録類を生み、大きな関心が寄せられた。

 これらの記録を整理し、その歴史像を明らかにしようとする最初の動きは、大正期から昭和初年にかけて進められた県下各郡誌の編纂過程であった。

例えば『北都留郡誌』・『東山梨郡誌』・『北巨摩郡勢一班』などをあげることができる。またこの頃、小野武夫編『徳川時代百姓一揆叢談』下層に、一宮村水上文淵の「郡内騒動」の一編が寄せられた。しかし、研究の本格化は、第二次世界大戦後の百姓一揆研究の隆盛を待たねばならなかった。

 郡内騒動の歴史的意義に注目した戦後最初の一人は、遠山茂樹氏であり、その著『明治維新』(岩波全書 昭二六)中で、天保期の封建的矛盾の表われとして捉えた、

「甲州郡内騒動の諸断面」

(『史料館紀要』第二号 昭四四)、

増田廣育「郡内騒動とその鎮圧について」

(『幕藩制国家解体過程の研究』昭五三)、

同「甲州郡内騒動頭取大目村兵助逃亡日記その他」

(『歴史評論』第三三八号 昭五三)

同「天保飢饉における夫食等拝借について」

(『地方史研究』第一五七号 昭五四)、

安藤正人「甲州天保一揆の展開と背景」

(『天保期人民闘争と社会変革』上・昭五五)、

増田廣冑「甲州天保一揆と郡内諸村」

(『甲斐の地域史的展開』昭五七)、

中小路純「郡内騒動と天保九年「改革」」

(『歴史学研究』第五七二号 昭六二)。

 

 以上関係諸論文中主たるものを列記した。しかし、一覧してわかるように、一揆の全体像を明らかにする論文に乏しい。手塚論文や一連の増田論文、または松田論文や中小路論文は郡内地方に力点がおかれており、また有泉論文は国中が論旨の中心となっている。そうした中で、安藤論文が一揆の展開とその背景を明らかにしようとする点て、最も全体像に迫ろうとするものとして、高く評価できる。

それならば何故に全体像を明らかにするような論考が乏しいのか、考えてみる必要があろう。

 その第一の原因は、この一揆が極めて広範囲にわたることにはじまる。県下でこれに関する著作の最初は

有泉貞夫「幕末維新期における甲州農村の政治動向」

(『甲斐五・六号』昭三二)

であり、幕末維新期に起る郡内騒動と大小切騒動とを対象とし、一揆発生の基盤である、この時期の甲州農村の分析がなされた。

 戦後県下でも新しい歴史研究の機運が熟し、二九年秋から甲斐史学の結成が起り、翌三〇年一一月その発足をみた。そこでの一連の郡内騒動の研究が、大きな成果をもたらした。それを列記すると次のようである。

 

同会研究発表会での増田廣育「判決からみた郡内騒動」

(昭三一)。

『甲斐史学』誌上では、

飯田文弥氏による前記有泉論文の紹介

(三号 昭三四)、

増田廣賓「郡内騒動の中心人物犬目村兵助について」

(六号 昭三四)、

竹川義徳「山梨農民運動史」-郡内騒動

(一五号 昭三六)、

手塚寿男「天保騒動の郡内局面」

(一六号、一七・一八合併号 昭三七)と続いた。

しかし、その後は研究の中心は県外へと移っていった。それらを列記してみると次のようである。

 松田利之「幕末における郡内地方の農村構造」

(徳川林制史研究所『研究紀要』昭四一)、

藤村潤一郎「天保大規模なものであったことにあるといえる。そのため容易に全体像を明らかにし難いということが、部分的地域的研究を余儀なくしてきた。そのため一揆の直接発生地域である郡内についての研究が先行し、他地域の研究に立遅れがあり、全体像を明らかにするだけの各地域での研究成果が蓄積されるまでに至っていない。そのことが、ともすれば厳密な史料批判なしに、一揆について書かれた、いわゆる「騒動実録」的記録への依存を生み、全体像をゆがめる結果となっているように考えられる。

 このように考えてくると、その全体像を明らかにしていくためには、やはり地道な史料発掘が進められることが第一であり、同時に各地域の天保期の実態と一揆の実像を、丹念に構築するという基礎作業が必要となる。

幸いにして

『編年百姓一揆資料集成』第十四巻・『甲府市史 史料編』

などに新史料が収録され、

金丸平八「天保七年に発生した所謂「郡内騒動」に関する記録」

(1)~(5)(『青山経済論集』)

など史料批判も進められ、新しい研究の方向は次第に拓かれつつある。                     

〔増田廣實氏著〕






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最終更新日  2022年01月31日 09時20分56秒
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