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2022年01月31日
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カテゴリ:山梨の歴史資料室

山梨県の歴史 甲州の和算

 

『山梨県郷土史研究入門』山梨県郷土研究会編

  山梨日日新聞社 平成四年刊

  一部加筆 山梨県歴史文学館

 

 「和算」という用語は、江戸時代に限定して、使用している。それも、吉田光由の『塵劫記』の出版された寛永四年(1627)から日本数学会(東京数学会社)の発足(1877)までである。

 甲州の和算研究は、他の歴史分野などに比し、きわめて少く、やっと研究の端緒がひらかれたところである。

 管見であるが、昭和三〇年代頃までは、研究者が『塵劫記』などの和算書を蒐集した程度にとどまった。

 昭和五一年(一九七六)に、『増穂町誌』が発刊され、その中に、同町出身で、『峡算須知』の著者、井上昌倫に関しての記述がある。その記載のなかに、「甲州

算家の動向」がある。簡略であるが、和算家として、関孝和・山県大弐・山下次助等を掲げている。執筆者は青山靖である。

 県外の出版物で、甲州の和算に触れているものに、昭和四一年刊『郷土数学の文献集』がある。この文献集では、「和算若しくは、珠算を教授した山梨県の私塾及び寺小屋」を集録している。刊行は、富士短大出版部である。                           

 

 最近、や之仔細に調査したものに、

弦間耕一が『文学と歴史』に、昭和五八年(1883)から九回に亘って、執筆した「甲州の和算家」がある。

 甲州の和算家には、天才関孝和がいる。孝和は、甲府宰相徳川綱重・綱豊に仕え、貞亨元年に松本村で測量を行っている。それは『松本村御検地帳』に検地役人、関 新助として出てくる。孝和を甲州の和算家に位置づけることには、異論もあろうが、甲府藩に仕え、甲州に居住し、和算の力量を発揮し測量したことは事実である。

しかし、孝和の和算研究の進捗や、甲州人に与えた影響は、はっきりしない。

 山県大弐は、兵法家・思想家として知られる。この大弐は、和算家として独創性を発揮した。その著書『牙籌譜』は、算盤の不足を補い、除法・開法・立法の解答を早く導びき出す方法を考案した。

 関孝和の才能は別格である。孝和以外に、全国水準で著名な和算家は甲州には存在しなかった。

 関流の免許は五段階に分かれ、学力に応じて次の順序で授けられた。見題免許、隠題免許、伏題免許、別伝免許、印可免許である。

 甲州で和算の免許を授与された者には、

岩間孫兵衛知寿(塩田村)

小沢久右衛門有隣(市川村)

三井織右衛門信交(山ノ神村)

千野栄助嘉得(下条村)

保坂六左衛忠寛(下今井村)

秋山嘉右衛門保之(百々村)

瀬戸郷右衛門温良(大野寺村)

中村卯吉改定(岡村)

 

等がいた。

 

中村卯吉は、岩間孫兵衛の門人で免許取得まで指導を受けていた。右の者たちで「隠題免許」を許されたのは、岩間と小沢で、他は「見題免許」であった。

 最上流(会田安明創始)では、落合俊明が免許を伝授されている。免許をゆるされることは容易でなく、岩間孫兵衛は、一八年の歳月を要した。小沢有隣なども同様であった。

 著書のある和算家に、中村卯吉『算法図会』山県大弐『牙篇譜』がある。

井上昌倫『峡算須知』

花輪宣清『峡算法』

深沢数改『日用算法敵全』

水野信久『甲州諸色算』

山下次助『算法書草稿』未刊、

 

明治期の和算書に

『数学童蒙必携』『測量起源』高野甚右衛門らがいた。

 

 和算家が、自分の発見した問題や解法を書いて、寺社へ奉納したべ算額」は、山梨では皆無とされてきたが、昭和五九年(1984)に熱那神社(北巨摩郡高根町)

で発見した。調査を進めるなかで、金桜神社、三輪神社、東屋社 妙法寺などに、かつて「算額」が存在したことが確認された。

 研究資料である和算書の散逸が心配されるが、研究の意図をもって、和算関係の資料を収集されている相川源治、数学教師で和算に関心を持って、和算書を所蔵された山崎俊雄(故人)、そのほか、川口茂弘(元校長)古屋嘉男(幼稚園長)など各氏が和算書を蒐集している。

今後、山梨の和算研究に資料提供されることを期待したい。

 和算研究を深めるためには、中・高・大学の教員で数学を専攻される方々の積極的な調査研究への参加が切望される。〔弦間耕一氏著〕

 

  参考文献

弦間耕一『甲州の和算家』文学と歴史の会

 

【註】熱那神社(北杜市高根町)の算額には、白州町下教来の河西氏のものも有る。弦間耕一氏著『甲州の和算家』






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最終更新日  2022年01月31日 09時26分02秒
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