2291741 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2022年02月01日
XML

甲斐ゆかりの人 佐渡奉行 御手洗四兵衛憲明(定重)

 

前経歴  大番組頭、目付

佐渡奉行 53歳 明暦3年(1657)~寛文2年(1662)の、5年間

後経歴  死亡

 「寛敬重修諸家譜」 第千五十四藤原氏 支流

 

「祖先は、藤原氏にして、

武田信虎、信玄に仕えた甲斐国小石和筋の小山の城主、

侍大将の家柄であり、武田家没落後、徳川家康に仕え、

旗本別家の祖正久の養子になったのが定重(さだしげ)である。

 

養子先の父正久は、慶長5年(1600)徳川家康に仕え、大番となり、

二百五十俵、のち幕奉行になった。

 

  佐渡奉行定重は、榎下六郎左衛門憲清の次男で母は武田家の臣であり、

養子先父正久の跡目を継ぎ、元和7年(1621)徳川秀忠に拝謁し、

大番となり、のち組頭に転じ、四百俵を賜る。

慶安元年(1648)目付に転じる。

慶安4年(1651)三百俵を加増。

明暦2年(1656)佐渡奉行に進み、

相模国に五百石を加増。

寛文2年(1662)8月59歳で死亡。法名凍結。

牛込の保善寺に葬る。(「寛政重修諸家譜」)

 

このあと佐渡奉行定重の系譜は、次の代で絶えている。

 定重は、鎮目以来の久々な大番組頭の出身であるが目付として6年間の実績を踏まえての佐渡奉行ということになる。

 伊丹家と御手洗家との武田家臣時代、また、徳川幕臣としての立場を見るときにやはり、御手洗佐渡奉行は伊丹父子奉行の業績洗いだしと見るべきである。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022年02月01日 11時15分08秒
コメント(0) | コメントを書く
[佐渡と甲斐を結ぶもの 佐渡銀山] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

9/28(土)メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X