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2022年02月01日
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甲斐ゆかりの人 曾根五郎兵衛吉正 佐渡奉行

 

前経歴  小性組

 

佐渡奉行 

48歳 寛文10年(1670)~延宝8年(1680)の10年間

 

後経歴  辞任、小普請

 「寛政重修諸家譜」  第百六十七清和源氏 義光流武田支流

 

祖先は、曾禰五郎遠次より代々甲斐国八代郡曾根村に住み、

曾禰の文字を曾根と称する。

祖定次はその末孫で武田信虎に仕え、

のち駿河国に至り今川義元に仕え62歳で死亡した。

定次の子長次は武田家に属し、

天正6年(1578)徳川家康が遠江国浜松城において

武田家と戦ったとき、家康に密かに通じたことにより、

家康が駿河国に入ったとき召されて士となる。

 

天正18年(1590)家康が関東へ移ったとき、

伊豆国の代官職を賜り、のち代々伊豆国の代官職を継いでいる。

佐渡奉行吉正の父吉次は徳川秀忠に仕え、

上洛の御使、勝姫及び松平仙千代丸の付添、事件処理、

関東勘定奉行、評定衆、代官等要職を歴任して三千石を知行している。

74歳死亡。

  その次男が吉正であり、

寛永16年(1639)徳川家光にお目見えして、

寛永17年御小性組の番士に列し、

寛永19年三百俵を賜る。

寛文2年(1661)

父吉次の采地武蔵国埼玉郡のうち五百石もらい分家旗本の祖となる。

寛文10年(1670)佐渡国の奉行に進み、

武蔵国埼玉郡に三百石を加増される。

延宝8年(1680)職を辞し、小普請となり、

元禄8年(1695)職を退く。このとき養老米として三百俵を賜る。

元禄10年(1697)4月3日75歳で死亡。

  法名祐斎。三田の大松寺に葬る。のち代々葬地。(「寛政重修諸家譜」)

 

 曾根氏は武田氏の古い分流で、武田信昌(信玄の祖々父)のころからの侍大将が多く、祖定次はその末孫で信虎に仕え、信虎が子信玄の追放を受け駿河国に赴くときについて行き、今川方になったもので、それが徳川家康と武田信玄の戦いに、早くから徳川家康に内通したものと思われる。

 

 佐渡奉行吉正は、分家旗本の祖として徳川に仕え、

その一生は質素・謙虚なものであり、

養老米として三百俵を賜っているが、

養老米(現在の年金)を賜った佐渡奉行は

後にも先にも吉正だけではないかと推測する。

 全般的に佐渡奉行の徳川幕府に飲み込まれてしまう

多くの系譜のなかで無難に代々継続した要素ではないのか。

 また、武田24将といわれる

同族の曾根下野守昌世も武田家滅亡後は徳川家康に従い、

武田旧臣を家康に帰属させるための起請文奉行をつとめた。

 ただし、戦後処理を完了した昌世はのちに蒲生氏郷に仕えている。

 

 曽根奉行が佐渡において第一にしなければならなかった仕事は、洪水によって荒廃した銀山及び河川の復旧工事であった。そしてこれまでに惰性で掘り尽くされた山の失業対策であった。江戸においても徳川家光(3代)の浪費、徳川家綱(4代)の江戸明暦の大火等幕府財政は厳しく、佐渡国での自立復興を強く要求され、曽根奉行は英断をもって佐渡国内で対処したのである。金銀山の山師及び「かなこ」に銀一貫目に付き五十目、相川中の住民男女を問わず7歳以上に銭九文の徴収である。それを割間歩の再興に投入し、新しい割間歩の開発を実施したのである。

 

大久保石見守長安の時代を第一期発展とするならば、曽根奉行によってもたらされた第二期発展時期とすることができる。しかし、収支的には、いぜんとして赤字であった。

 

 その他の曽根奉行実績として、若林奉行のときから問題のあった武田遺臣留守居役・奥野七郎左衛門の成敗、小木港の改修、順徳天皇の真野御陵造営であり、金銀山用水の農民への開放である。

 

そして、延宝8年(16802月28日

病を理由に10年間の佐渡奉行を辞し小普請となったのである。






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最終更新日  2022年02月01日 11時21分04秒
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