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2022年02月07日
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  佐渡奉行 大久保長安 鎮目市左衛門 河村彦左衛門

甲斐の時代にはほとんど無名で、足跡も定かではない武将たちが、佐渡においての足取りは確かなものとなる。

佐渡に色濃く残る大久保長安、しかしその由緒および家暦については定かではない。長安の出生から武田家とのつながりについても不詳の部分が多い。基になったものと共通するものが何なのかを探し、そこから見えてくるものが真実の長安像に近づくこととなる。否、もっと謎が深まるのかも知れない。

 

大久保長安 天文14年(1545)

猿楽師大蔵大夫の次男として生まれ、幼名を藤十郎ついで十兵衛と改めた。父大蔵について「舞曲拾葉抄」には今春座猿楽の大蔵大夫について「大蔵大夫は甲州に身をよせあり、家絶果て候につき、今春の末の子に大蔵を名乗らせ、大蔵大夫となせしと聞く」とあり、竹田権兵衛広貞の書簡には「大蔵大夫は甲州武田殿へ奉公に罷出候」とあるから、父の大蔵大夫と大和国を出て甲斐の武田家に仕えた。

佐渡に色濃く残る大久保長安、しかしその由緒および家暦については定かではない。長安の出生から武田家とのつながりについても不詳の部分が多い。基になったものと共通するものが何なのかを探し、そこから見えてくるものが真実の長安像に近づくこととなる。否、もっと謎が深まるのかも知れない。 江戸幕府の代官群像

徳川氏の臣なり。申楽師今春七郎喜然の子にして及蓮の弟、初め族を大蔵と称す字は藤十郎甲斐の人武田信玄に籠もあるをもって、士籍に入ることを得土谷(屋)を冒す。武田氏滅びて後駿府の家康に仕えて大蔵大夫と称し申楽をもって業となす。 大日本人名大辞典

大久保長安は、甲州武田家猿楽師大蔵太夫の次子で、名を藤十郎といった。武田氏末期には、田辺十郎左衛門のもとで黒川金山(筆註ー甲斐)の経営に携わっていたが、武田氏滅亡で浪人やがて家康の知るところとなり、小田原城主大久保相模守に預けられて大久保姓を与えられ、家康の幕下となった。 相川郷土史事典
  ,

編年集成に金春八郎入道及蓮、同源左衛門の弟大蔵大夫の子二人、兄新之丞は土屋直村が名を与え、土屋新蔵と改め長篠にて戦死、弟大蔵籐十郎は御入れの時、足利家御所営作の図細川物数寄風呂の絵図を持来りて日下部兵右衛門方にて桑木風呂を営みける召出され大久保相州苗氏を授けは八千石を下さる。 甲斐国志

 

 大久保石見守御支配由緒之事

 

大久保石見守長安、初号大蔵太輔と云、金春方能師而、武田信玄に仕、天正元年信玄逝去の節逐電、其の頃大久保相模守忠隣、舞楽を好に付長安縁を求め相州に取入れ出頭す。忠隣の伯父大久保治左衛門中佐より名字を賜り大久保重兵衛と改む  『佐渡古実略記』

 

, 長安の生い立ちは、祖父の代から武田家に猿楽師として抱えられ、父とともに信玄の寵愛を受け、士分に取り立てられ、武田家滅亡とともに信玄の孫を守りながら隠遁生活をしていたという。

家康は三河譜を中核としながら覇権獲得の途上において服従した今川氏、武田氏さらに後北条氏の旧臣を広く抱合し徳川家臣団として磐石な政治基盤をつくりあげている。このうち、武田氏の旧臣の地方巧者といわれる有能な人材を家康の関東入国とともに一万石以上の付庸大名化することなく、武川衆・津金衆・蔵前衆・海賊衆・小人頭として武田家臣団の形態をのこしながら甲斐・信濃の守りとして、伝統的地盤の復活させることを契機に、後の旗本層に連なる徳川直属家臣に組み込んでいる。 『江戸の栄華を支えた佐渡奉行たち』

 

, 大久保長安は、天文十四年(1545)猿楽師大蔵大夫の次男として生まれ、幼名を藤十郎といい、ついで十兵衛と改めた。長安と甲斐の武田氏との関係は、彼の父大蔵大夫が信玄の猿楽師として金勤仕したときからはじまる。従って長安は生え抜きの甲州武士ではない。「舞曲拾葉抄」  

 

大蔵大夫は甲州に身を寄せあり、家絶果につき、金春の末の子に大蔵を名乗らせ、大蔵大夫となせしと聞く。

「金春代夫氏勝を祖とする竹田権兵衛三代目、広貞の書簡」

大蔵大夫は、甲州武田殿へ奉公罷出候 「翁物語」

 

猿楽師であった長安が、芸が下手であったため、甲斐に下ったが、竹田氏滅亡後都へも上りかねて甲斐に引き篭もっていた。 「大久保石見森長安と猿楽衆 村上直氏」

 

大蔵大夫が金春座の傍系として名門であり、武田信玄に勤仕した当時は、一般に武家を保護者とした場合の通例として、芸能者が厚遇されたものと思われる。  長安の父大蔵大夫「当代記」

石見守と云は甲斐武田に住したる大蔵大夫の(道入子)末子也

 

「甲府市史」著者の見解

 

父大蔵大夫に従って甲斐にあった長安は、信玄かr認められ、やがて武田氏の御譜代家老衆土屋右衛門尉直村から土屋という姓を授けられ、兄新之丞とともに士分に取り立てられたといわれている。

長安は早くから民政官としての素質があったようである。事実、武田時代の長安は蔵前衆(代官衆)として民政を直接担当し、専ら貢税や司法、鉱山の採掘などに働いていたため、前線の戦闘部隊には配属されるようなことはなかった。云々 甲府市史

 

「甲州武田家臣団」土橋治重氏著 猿楽衆の項

 

観世代夫・大蔵大夫。両座あわせて(子役を入れて)五十一人。

大蔵大夫は名人といわれた・もっぱら、大蔵彦右衛門は脇、みますや弥右衛門は小鼓、こうの孫次郎、長命勘左衛門は狂言をした。そしていつもの客はもと美濃守土岐頼芸と旧近江の守護佐々木義賢の子、義治あった。この二人は国を追われて武田家に厄介になった。 甲州家臣団

 

「燕石十種」第一巻

 

(略)室生太夫が家は、元観世が一族、(略)金春・金剛は足利将軍の太夫にして、秀吉公御当家様までの太夫なり。中頃信玄の太夫にして、当御代別で御太夫なり。大蔵も信玄の太夫なり、日吉太夫は信長の太夫なり。

(略)

金春太夫が家は、猿楽の開基楽頭大和円満が子孫なり。(略)金春が家、川勝大臣より近代の八郎まで五十一代に及ぶ旧家也。八郎が父を七郎とと云、其父を太夫といへり、渠に男子余多あり、嫡子八郎家を継て、後及蓮といふ。次男金春源左衛門、脇一色を勤む、是より脇師の家別に立、三男大蔵太夫と号す。渠は武田信玄の太夫となり甲州に行、其子後大久保重兵衛と号し、御家へ被召出、御譜代を勤、石見守に任ず。死後訳ありて滅亡す。三男大蔵源左衛門、太鼓の家と成、入道と号す。四男大蔵弥右衛門、狂言師となる。 燕石十種」第一巻

 

「武徳編年集成」

 

大蔵大夫は、武田信玄が猿楽たりし、然るに其の子兄弟、無双の利口を以、信玄に二人とも取り立て土屋直村が苗字を授け、兄は新之丞、弟は藤十郎長安と称す  「武徳編年集成」

 

   筆註ー 

 

上記の諸書の紹介からは長安の出生から徳川までの足跡は定かではないことがわかる。「甲斐国志」文化十三年の刊で最も古いが後に引用されている箇所は少ない。この間のについては諸説あり、謎は深まるばかりである。

 

天正17年 「大三川志」・「朝野旧聞哀藁」

 

徳川家康が甲斐に滞在しているときに仮館を建築したが、其のときに長安の手腕が認められ抜擢された。  「武徳編年集成」・「慶長年録」

 家康が甲斐の国奉行、日下部兵右衛門定吉の邸内で滞在していたとき、信玄が秘蔵していた足利家御所営作の図と、細川氏の伝える風流な風呂の絵図をもとにして、(長安が)桑木風呂を作ったの家康の感興を買うことになった。

  関東入国

大久保長安が配置された八王子の小門陣屋は甲斐との国境にあった。

「甲府市史」-----「大三川志」・「朝野旧聞哀藁」

 

慶長8年

 

ある時権現様於駿州岩淵に金銀山御急糺有之に付、

十兵衛金銀山稼方之次第御側之役人青山藤蔵を以って言上す。

依りて台前被召御上意を蒙り御家人と成る。段々出頭し、

武州八王子の辺りにて三万石を被下、同国滝山に居住、

従五位下大久保石見守に昇進し、

其の頃伊那備中守初号熊蔵と云う両人関東郡郡代を承り、

長安、伊豆・石見・佐渡於三カ国金銀山を見立て

別而佐渡銀山は日本一の用山にして毎年両度渡海可由上意を蒙り依りて、

慶長八年より支配、翌年四月十日、同勢百三十人、

佐州松ヶ崎え着岸。支配十一年、

慶長十八年四月二十五日於滝山に卒。

 

法名「法広院殿一的朝覚大居士」と号す。云々  佐渡古実紀






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最終更新日  2022年02月07日 11時21分08秒
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