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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2022年03月12日
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 『シーボルト 江戸参府紀行』

二月一七日〔旧一月十一日〕

楠木の大木 嬉野温泉

嬉野の近郊 塚崎温泉 武雄温泉

塚崎温泉 武雄温泉

日本語

 

  初版第1刷発行 1979年7月15

  訳者 斎藤 信 さいとう まこと

 

  東洋文庫87

  発行者 下中邦彦

  株式会社平凡社

  

 斎藤 信氏略歴

  明治44年東京都生。

  東京大学文学郁枝文科卒(昭12)。

  名古屋市立大学名誉教授。

  現職(著 当時) 

  名古屋保健衛生大学教授。蘭学資料研究会会員。

  専攻 ドイツ語。オランダ語発達史。

  主著『Deutsch fUr Studenten』。

  主論文「稲村三伯研究」など。

 

  一部加筆 山梨県歴史文学館

 

彼杵から道は曲がりくねって谷間を通りニノ瀬へと進む。

この村は一世紀以上前から一本の巨大なクスノキで有名である。すでにケンプファーは一六九一〔元禄四〕年にこの木のことを述べており、その周囲を六尋と見積もっている。精確に測ってみることは骨折り甲斐のあることと思い、元気な門人たちの助けを借りて地面のすぐ上の所で幹を測った。

 

周囲は、一六・八八四メートルあり、このことから直径は五・三七日メートル、面積二二・六七五平方メートルあることがわかった。ケソプファーの時代にすでにそうだったが、木は空洞になっていて東南の側は全く空いている。約八フィートの高さの枯れた根が空洞の入口の前に今なお立っている。

空洞は日本の畳八枚を並べて教くことができるから、面積は一四・五七七平方メートルある。従って一五人がその中に立てるという報告は誇張ではない。この空洞は高く幹の内部に通じているが、それでも幹は非常に丈夫で強い枝をもち、ひろく枝を広げ葉の茂った梢がある。

純粋のクスノキで、日本の南方地域ではこの木から樟脳をとる。近くに小屋を建てて、この驚嘆すべき巨木の話を聞かせて布施を受けているひとりの貧乏な老人が、われわれに次のようなことを物語った。

この木は日本で崇められている宗教家の弘法大師の杖から生じたと。

われわれはこの伝説を全面的には信じようと思っていないが、この木が第八世紀という古い時代(なぜなら上述の弘法大師は七七四年〔宝亀五〕に生まれた)に由来しているということが単にもっともらしいばかりでなく、この木が一三五年以上前にすでにこんな大きさになっていて、今日と同様に空洞をもっていたことを考えてみるならば、その古さを認めてもよいだろう。

クスノキは非常に高い樹齢に達し、幹や梢はのびて大きく広がり、梢は遠くからも見え、神聖なドイツの柏の木とよく似ている

〔この瀬のこの大樹は明治二〇年ころ切り倒されたという〕。

また日本のいくつかの樹木は、大きさのために特別な名声を得てている。

たとえば甲斐の国の矢立の松・一〇フィート以上あるといわれる上総の大銀杏などである。

また日本の杉もたいへん太くなる。私は直径五フィート以上の巨木を見た。彼杵の年を経た巨木の正しい姿は第六図に示す。その幹には手のとどく限りの周囲に、名前や格言やその他の銘などをいっぱい書いた紙片が貼ってあった。

われわれはなおそれにオランダ語を書いた一枚を加えた。払の門人のひとりは、計った大ささを日本語で書き加え、この木は計れないという噂に終止符をうった。計れないというのは大さのためではなく、北と東北の側で斜面が接近を拒んでいるためなのである。

 

嬉野温泉

 

われわれは嬉野への旅を続け、昼食後に有名な温泉を訪れた。この温泉は山の麗の石膏屑の上にあり、そこを掘りぬいた長さ約六フィート、深さ二フィートの湯壷に、沸騰し泡立ちながら湧き出している。底では砂が舞い上がり、その中にはたえず気泡が生じ、枠は炭酸石灰でおおわれている。

浴場へ導かれる湯は浴槽の横にある比較的小さくて深い貯水槽に溜まり、溢れた湯は樋を通って横を流れている小川に落ちる。湯の色はきれいで普通の水と変わりなくすっかり澄み切っていて透明である。

臭いは弱く硫黄を含んでいる(が硫化水素の臭いではない)。味はやや甘味があり、比重は〇・九九五である。湧きでる湯の温度は列氏七四~七五度〔約C九〇~九一度〕であるから、卵は数分でかたく茹であがってしまった。

この源泉を化学的に調査したビュルガー君は次の結果を得た。

「石灰水は白濁しなかった。

酢酸鉛は水を強く乳濁させた。

硫酸酸化第一鉄は緑色となり、

濃縮された酸は気泡を生ぜず、

没食子チンキと鉄青酸カリウムは変化を起こさない。

塩酸酸化バリウムは強い白色の沈殿をきたし、

硝酸銀はそれを乳濁した」。

 

これらのことから、この水の中には主として硫酸塩と少量の塩酸度が溶解して含まれていると考えられる。

注目すべきことは、源泉から遠くないところの石膏床に天然の硫黄が存在していることである。この源泉それ自体、同じくすべての浴場と小川のかなりの距離の間は湯気でおおわれていたし、付近の木の葉、とくに楠木の大木は黄色くなっていた。熱湯が流れ込むところからそれほど遠くない小川には、日本人がよくハエとかハイなどと呼んでいるアブラミスの一種がいる。さらに下って約一二ないし一六メートル行くと、次のような魚類がとれる。すなわち、

金鮒・黒鮒・白鮒・ショウトク・アプラ・シロハエ・鯰(なまず)・鰌(どじょう)・飛鯊(とびはぜ)である。

これらの魚類は温泉の守護神に奉納することになっているから、土地のひとがここで魚をとることは禁じられている。

浴場はたいへん簡素である。

葺(こけらぶき)二階建の三つの広間から成り、そのうちふたつの大きな部屋には三つの浴室、小さい方には一つの浴室がある。三つの浴室には二つの浴槽があり、残りの浴室には一つだけ備えてある。浴槽は内側を石で囲んだ容器で、長さ六フィート・幅はその半分で、人は随意に湯や水をその中に入れることができる。

ふだんは浴槽にはただ熱い湯がみたしてあって、入浴者は自分の好きな温度にうめさせる。

浴場の入口には監視人や番人のいる小屋があって、前庭には入浴客のための、庭に面した小さい家がある。

日本の医者は、慢性病や痘癒・麻疹の病後の療養として、また麻痺のような運動器官の弱っている場合、痛風(つうふう)やリウマチなどの時にこの嬉野温泉の利用をすすめる。一回五文ないし十文文(五百文は約一グルデン)と入浴料金が安いから、裕福でない人でも温泉を利用することは容易である。

 

嬉野の近郊 塚崎温泉 武雄温泉

 

嬉野の近郊は、われわれが一部を既に通って来た区間と同様にすべて火山的形成の特質を著しく帯びている。円錐形の山々が周囲の地平線を境し、高い丸屋根のように遠くあちこちに聳え立ち、至る所に異常な平野の姿をみせている。それらは古代並びに近代の火山的形成として、以前の流動状態や地底からの強烈な隆起の跡をなおはっきりと示している。

嬉野から数時間進むと塚崎の温泉があるが、三つの登りという意味で三坂〔三間坂の誤りか〕と呼んでいる高い山を越えて道が通じている。この塚崎付近の温泉はまた武雄温泉の名で知られていて、同じ名の山麓にあり、一般に嬉野温泉と同様の物理的・化学的性質〔今日の調査では成分が異なる〕を示している。ただ温泉の温度は列子四〇度〔C五〇度〕に過ぎず、湯元の湯溜りはもっと大きく浴室もいちだんと快適な設備をもっている。使節とわれわれは、肥前藩主の浴場で入浴する許可を得た。

木製の浴槽で、湯元から湯が運ばれた。その清潔さは驚くほどで、もともと水晶のように透きとおった湯を前もって馬の尾で作った細かい飾でこすのである。

塚綺は小さい町で、嬉野温泉と似通った病気に利用され、広い効能があるといわれているから、たくさんの入浴客が訪れる。

途中われわれはたびたび茶の栽培と陶器を作っているのをみかけた。嬉野の茶園は全国的に有名で優良な緑茶を生産する。すなわちここでは特に湯気を通してつくられ、そうやって緑色を保つのである。






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最終更新日  2022年03月12日 13時14分34秒
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