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2022年03月19日
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玉音放送 聴き 見て 歌った あの頃

 「一億人の昭和史」十一月号

 

占領から講和へ 

一九七五年十一月一日発行

発行所  毎日新聞社

 

一部加筆 山梨県歴史文学館

 

  

「終戦」……悪夢は終わったが、夢も希望も失って、呆然と焼野原にたたずんでいた人々の心に、明るく元気づけるように響いたのは「リンゴの唄」だった。松竹少女歌劇出身の並木路子が霧島昇とデュエットした松竹映画「そよ風」の主題歌である。

衣食住すべてがなく、巷には浮浪児があふれた二十一年、メーデーが復活、皇居前広場に五十万人が集まって「米よこせデモ」とな

ったが、この虚脱時代にスパートしたのは岡晴夫だった。リバイバル・ヒットした「港シャンソン」につづいて「東京の花売娘」

「啼くな小鳩よ」と、鼻にかかった歌声は焼跡を吹く風に乗って街から街へ流れた。とくに「啼くな小鳩よ」は、小学生の間にも大流行したので、職員会議を開く学校まで出た。

このほか近江俊郎・奈良光枝の「悲しき竹笛」

二葉あき子の「別れても」などがヒットしたが、

田端義夫のうたう「かえり船」が、外地からの引揚者や、それを待つ家族の胸にしみた。

またGIがよくうたった「ユウ・アー・マイ・サンシャイン」やWVTRから流れる「センチメンタル・ジャーニー」が若い人たちによろこばれた。

東京・新宿の帝都座五階劇場で、初のストリップ・ショーが行われた昭和二十二年、近江俊郎の出世作となった「山小舎の灯」や、 

平野愛子「港が見える丘」

二葉あき子「夜のプラットホーム」

藤山一郎「夢淡き東京」

ディック・ミネ「夜霧のブルース」

 

など、戦後派歌謡が相ついでヒットしたが、夜ともなれば、こんな女に誰がした、と、菊池章子のうたう「星の流れに」が、外国兵のソデをひく夜の女たちの間に流れた。

この歌は新聞の投書欄にのった、元看護婦の手記から生まれたもので、奉天から引揚げた二十二歳の女性が。夜の女に転落してゆく訴えを読んだ作詞の清水みのるが、怒りをこめて徹夜で書きあげたもの。曲がブルース調なので、淡谷のり子を予定したが「パンパン歌謡はうたいたくない」と断わられて、新人の菊池章子が起用されたという裏話もあった。

「タケノコ生活」「欠食児童」が流行語となった二十三年は、

笠置シヅ子が体当たり的に唄う「東京ブギウギ」の強烈なリズムが、爆発的に氾濫した。

近江俊郎の甘い演歌「湯の町エレジー」が、たちまち四十万枚を

 売って、プレーヤーの少ない当時としては大 ヒットを記録。同じく彼のうたった「南の薔薇」とともに、ラジオの「のど自慢」番組のレパートリーにランクされた。

その「のど自慢」から遂にとび出しだのが、

引揚ソングの「異国の丘」で、吉田正が作曲家としてデビュー、つづいて「シベリヤエレジー」・「ハバロフスク小唄」など引揚ものが作られた。

「ともしび」「カチューシャ」など、ロシヤ民謡がうたいだされたのもこの頃だった。






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最終更新日  2022年03月19日 10時55分31秒
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