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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2022年03月19日
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玉音放送 聴き 見て 歌った あの頃

映画 「一億人の昭和史」十一月号

 

占領から講和へ 

一九七五年十一月一日発行

発行所  毎日新聞社

 

一部加筆 山梨県歴史文学館

 

映画

 

敗戦がもたらした困惑に輪をかけたのがGHQから出された日本映画製作。『べからず集』である。

「軍国主義を鼓吹するもの」にはじまる十三条のこのお触れは、仇討はいけない。歴史に手を加えるな、封建思想はまかりならぬ、といったかなり于きびしい戒律ばかり。

 きびしい禁止事項に触れない映画作りといえば時代劇だけでなく現代劇だってそう楽ではない。そこで苦肉の策として各社が考え出

したのが、

「そよ風」「グランドショー一九四六」(以上松竹)、

「歌え!太陽」「東宝ショーボート」(東宝)、

「別れも楽し」(大映)

 

といった、たわいのない現実逃避の娯楽映画で、それらの映画の主演者も、戦中からおなじみのスターたちだった。

 この戦後の映画スター不足の傾向は、かなり長く続くが、映画の中身がかわったのに俳優だけがおなじではと、新しいスターの出

現を待望する声もつよく、これに答えるように東宝・大映では二十T年に第一回のニューフェース募集をやった。

ここから生れたのが、

三船敏郎、

堀雄二、

久我美子、

若山セツ子、

岸旗江、

 

そして大映からは

折原啓子、

三条美紀

といった新スターである。

三船は「銀嶺の果て」、

久我・若山は「四つの恋の物語」、

岸は「戦争と平和」、

折原は「彼と彼女は行く」、

そして三条は「踊子物語」で華ばなしくデビューする。

この年日本映画は、現代劇、時代劇あわせて八十本を製作。この中には、

黒沢明監督の「わが青春に侮なし」

(節子・藤田進主演)、

木下恵介監督の「大曽根家の朝」

(三浦光子・杉村春子主演)

などの映画史に残る名作もふくまれているが、

最大の話題は最初の接吻映画の登場だ。

松竹の「ある夜の接吻」

若原雅夫と奈良光枝がそぼふる雨の中で抱き合うシーンが見せ場だったが、

大映の「はたちの青春」では幾野道子と大坂志郎が、ほんとにくちびるを合わせた、というのでセンセーションをまきおこし大ヒットした。

 

長い戦争の間に荒廃した撮影所もその機能を回復、

二十二年には九十七本だったのが、

二十三年には百二十三本、

そして二十四年には百六十本

と製作本数が飛躍的に増えていったが、新しい民主化の波は東宝大争議をひきおこし、その結果として新東宝という新しい映画会社が誕生。またレッドパージで各社を追放された映画人がそれぞれ群雄割拠しての独立プロが雨後のタケノコのように群立したことも、戦後の新しい現象だった。

京マチ子という踊り子出身のグラマー女優が「痴人の愛」という肉体もので一躍スターダムにおどり出たり、

上原謙・山根寿子主演の「三百六十五夜」というメロドラマが大ヒットしたのもこのころ。

また戦前派のビッグスター田中絹代や原節子、木暮実千代もカムバックして

「わが恋は燃えぬ」や「晩春」「花の素顔」などで人気をとりもどした。

満州から身ひとつで引揚げてきた李香蘭が日本人名の山口淑子と名乗って、松竹映画「我が生涯の輝ける日」でカムバックしたのは二十三年のこと。

戦時中は映画法という壁に阻まれて見られなかった外国映画の輸入も自由になったが、そのトップをきったのは敵性映画として開戦

いらいストップ状態にあったアメリカ映画だ。

二十一年二月、まずダリア・ガースン主演の「キューリー夫人」とディアナ・ダービンの「春の序曲」が東京・大阪で公開されたとき、長い間の渇望をいやすように洋画フアンの長蛇の列が映画館をとり巻いた。

このあと

「ラインの監視」

「チャップリンの黄金狂時代」

さらに

イングリッド・バーグマンの「カサブランカ」、

デュヴィヴィエ監督の「運命の饗宴」、

ビング・クロスビー主演の「我が道を往く」

と続いてフアンは随喜の涙をながして、敗戦がもたらした自由の有難さを実感したものである。

二十二年には東京の有楽町にスバル座という新しいロードショー劇場ができて、

「アメリカ交響楽」

をはじめ

「心の旅路」

「荒野の決闘」

「ガス燈」

「我が生涯の最良の年」

 

など新しいアメリカ映画の昧を堪能させてくれた。

これにつづいて二十三年には、ソ連映画を皮切りにヨーロッパ映画が輸入され、

「美女と野獣」

「旅路の果て」

「シベリヤ物語」

「石の花」

「逢びき

「ヘンリー五世」

などの香り高い名作が怒濤のように押し寄せた。

 

長い争議で荒廃した東宝は二十五年、

今井正監督の「また逢う日まで」

でやっと立直りのきざしを見せたが、このころから日本映画のぜんたいが活気をとりもどした。

そのシンボルとなったのは二十六年のベネチア国際映画祭に大映が出品した「羅生門」が見事グランプリを受賞したことである。

 

これが大きな刺激となって、

「源氏物語」

「雪夫人絵図」

「風にそよぐ葦」

「暁の脱走」

「白痴」

「偽れる盛装」

「自由学校」

「生きる」

 

などの話題作、問題作が続々と作られ、新しい日本映画の黄金期が到来することになる。〈草壁久四郎〉

 





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最終更新日  2022年03月19日 12時05分12秒
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