2295368 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2022年03月19日
XML

玉音放送 聴き 見て 歌った あの頃

『演劇』「一億人の昭和史」十一月号

 

占領から講和へ 

一九七五年十一月一日発行

発行所  毎日新聞社

 

一部加筆 山梨県歴史文学館

 

演劇

 

歌舞伎は、焼け残った東劇・帝劇を根城に公演を再開した。しかし、戦後の日本の支配者であったGHQは、歌舞伎に好感を持たな

かった。

歌舞伎劇にみられる忠君愛国、封建的な思想は、再建日本にとって有害なものである、というのがその理由であった。

二十年十一月東劇で上演の「菅原伝授手習鑑」がGHQの命令で中止になり、その直後歌舞伎劇の上演禁止リストが内示された。

忠義をテーマにしたもの、仇討もの、封建的色彩の強いものはすべて上演禁止となり、わずかに世話物の一部と舞踊劇だけが上演を許された。

GHQは民主主義路線にのっとった新作、現代劇の上演を奨励した。

二十一年には菊五郎、吉右衛門が現代劇を演じ、女形が洋装で登場するといった奇妙な公演がみられた。

二十一年二月東劇の「滝口入道の恋」には、歌舞伎では始めての接吻シーンが登場、話題になった。この禁止リストは二十一年夏ごろから徐々に解除され、二十二年十一月に東劇で「忠臣蔵」の上演が許可された。

この「忠臣蔵」は

七世幸四郎、

六世菊五郎、

初代吉右衛門、

七世宗十郎

ら、戦前から活躍した名優たちの顔合せで上演され、歌舞伎に飢えていた観客を熱狂させた。

その一方で、戦後歌舞伎のにない手である次代の俳優たちは、三越劇場を足場に、着々と実績を積みあげてきていた。

二十三年二月東劇の「千本桜」の通しは、海老蔵(故団十郎)をはじめ新世代俳優の台頭を示す公演だが、舞台、観客の入りとも成功で、歌舞伎の継承に明るい見通しが立った。

二十四年に幸四郎(一月)宗十郎(三月)菊五郎(七月)が相ついで亡くなった。

二十六年一月歌舞伎座が二億八千万円の費用で再建され、名優たちの死で沈みがちの歌舞伎界に、また勢いがついた。

三月には「源氏物語」が劇化され、絵巻物のような動く王朝風俗に観客は魅了された。続いて「なよたけ抄」「少将滋幹の母」など王朝物が上演され、新作歌舞伎に一T分野を作った。

 

関西でも事情は似ている。戦争直後の舞台を支えたのは梅王、延若といった老名優であったが、そのあとを寿海、寿三郎、雁治郎らが受けついだ。ただ、戦争による観客層への打撃という面では、大阪のほうがはるかに大きく、関西歌舞伎は、東京ほどの立直りを見せることはできなかった。

一方、新劇はどうか。戦前の新劇は弾圧につぐ弾圧で、十五年の新築地、新協両劇団の強制解散以後、事実上鳴りをひそめていた。

敗戦と、戦後民主主義の誕生は、新劇界には、日の出のようにみえたことだろう。戦前からの文学座に加え、二十一年には新協劇団再建、俳優座、東芸の創設と、早くも四つの劇団が活動を開始した。それにさきがけ二十年十二月には毎日新聞社主催の新劇合同公演「桜の園」が有楽座で上演された。入場料は十三円五十銭と四円だったが、大入りであった。が、新劇界にとって最大の悩みは、上演

する劇場のないことであった。東宝、松竹などの大資本と提携して帝劇、有楽座、東劇、新宿第一劇場などで公演したが、上演経費と

入場料収入のバランスがとれず、台所は火の車であった。当時の入場税は十五割、べらぼうな重税だったのである。

さらに全盛の映画が新劇から数少ない劇場を奪ってしまった。

二十一年九月に文部省主催の第一回芸術祭が行なわれ、新劇からは新協・東芸合同の「どん底」が参加した。

二十二年七月に東芸が解散、民芸(第一次)が生まれた。上記四劇団のほか、中小さまざまな劇団が生まれ、新劇界の表面の動きは活発化した。大劇場を追われた劇団は、三越劇場、毎日ホール、日劇小劇場などを足場に活動していったが、劇団経営を支えるため売れっ子は映画へ出演して稼ぐという風潮も生まれた。

しかし、こんな条件の中で、俳優座は

「検察官」(二十一年)

「フィガロの結婚」(二十四年)、

 

文学座は

「女の▽生」(二十一年)

「へッダ・ガブラー」(二十四年)、

民芸は

「山脈」(二十五年)

「炎の人」(二十六年)、

ぶどうの会

「夕鶴」(二十五年)などの秀作を世に出した。

二十四年からピカデリー劇場で行なわれた実験劇場というプロデューサー・システム公演も、戦後的公演として記録しておきたい。 

演出家として千田是也、

俳優では滝沢修、田村秋子、杉村春子、小沢栄太郎、

作家では木下順二、久保栄、福田坂存の活躍が光った。

 新派は喜多村、花柳に水谷八重子が加わり、復興(二十三年)した新橋演舞場を中心に活躍、

新国劇は北条秀司の新作を得て、剣劇劇団でない新しい分野を開拓。

前進座は、二十二年から青年演劇運動と銘打って地方公演を重ね、安く芝居をみせる行動を続けた。

演目は「ペニスの商人」で、二十三年の朝日文化育を受けた。

女剣劇(二十四年)の全盛、ストリップ(二十三年)の流行など、大衆演劇の世界には戦後を反映する現象がみられた。            〈水落 潔〉






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022年03月19日 15時14分30秒
コメント(0) | コメントを書く
[歴史 文化 古史料 著名人] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

9/28(土)メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X