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2022年03月23日
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カテゴリ:甲斐武田資料室

 

   『甲斐国志』所収大宮神馬奉納者一覧表

 
   佐藤八郎氏著『武田氏の研究9』

  一部加筆 山梨県歴史文学館 

  

種別   氏  名      馬数

親族衆 武田左衛門佐信亮   不明

   々  武田逍遥軒信綱    不明

   々  仁科五郎盛信     々

   々  松尾新十郎信俊    々

  将帥一 山県源八郎      々

   々  山県源四郎      々

   々  春日弾正忠      二

   々  春日中務少輔     一

   々  馬場民部少輔(信房) 五

   々  内藤修理亮昌月    不明

々  秋山左衛門佐昌詮   二

   々  土屋右衛門尉昌恒   五

   々  土屋同心 某     一

   々  小佐手 某      不明

々  甘利次郎四郎     三

   々  日向玄徳斎宗榮    不明

   々  日向玄東斎宗立    々

将帥二 工藤長門守      二 

   々  曾根源五       不明

   々  下曽根出羽守     々

   々  向山中務丞      々

   々  跡部淡路守      二

   々  跡部美作守勝忠    三

   々  跡部九郎右衛門尉昌忠 一

   々  跡部民部助昌秀    不明

々  跡部次郎右衛門尉昌副 々

々  三枝栄富斎虎吉    々

   々  栗原大学助      々

   々  栗原十三郎      々

々  温井常陸介      々

々  釣閑斎光堅      一

々  長坂 某       一

々  長坂弥三昌春     一

々  田沢久助       不明

 将帥三 今福新右衛門尉昌常  々

々  青沼助兵衛尉     々   

   々  奥山美濃守      々

々  御宿監物友綱     々

々  御宿 某一      々

々  御宿 某二      々

々  津梁斎        々

々  大井民部亮信直    々

々  依田美濃守      々

々  大目方佐渡守     々

   々  加津野市右衛門尉   々

   々  今井新左衛門信衡   々

   々  今井彦十郎信尚    々

   々  今井新右衛門尉    々

   々  今井彦三郎      々

   々  今井左衛門尉     々

々  安西平左衛門尉有味  々

々  諏訪伊豆守      々

々  関新右衛門尉     々

々  城 意庵       々

   々  小泉讃月斎      々 

々  小泉紅葉斎      々

   々  矢沢 某       々

   々  尻高 某       々

々  青柳 某       々

   々  栗田与右兵衛尉    々

々  僥倖軒宗慶      々

々  大目方右衛門尉    々

 

 上表の神馬奉納者合計六二名の内訳は、武田家親族衆五名、武田家将帥五七名である。

 『国志』編纂のため、駿河方面の資料収集に赴いた諸員により、

富士大宮の所蔵する「駿州大宮神馬奉納記」は調査の対象とされたが、その資料の一部が「賜芦文庫文書」に収められた。

『静岡県史料』第二輯所収の旧大宮司富上家文書四五「武田信亮等神馬奉納状写」である。 

 

「武田信亮等神馬奉納状」写

 

御神馬壱疋 左衛門佐信亮

御神馬弐疋 仁科五郎盛信

御神馬弐疋 逍遥軒信綱      (花押)

御神馬弐疋 内藤修理克昌月    (花押)

御神馬一疋 今福新右衛門尉昌常  (花押)

御神馬一疋 跡部次郎右衛門尉昌副 (花押) 

御神馬一疋 今井新十郎信忠    (花押)

御神馬三疋 跡部美作守勝忠    (花押)

御神馬二疋 安西平左衛門尉有味  (花押)

御神馬三疋 御宿監物霞網     (花押)

御神馬一疋 以清斎元松      (花押)

御神馬一疋 僥倖軒宗慶      (花押)

  

鷹野因幡守これを奉(承け賜)る」

 

というもので、これが『国志』人物之部に「駿州大宮神馬奉納記」

として幾十ケ所も記される史料の一部にほかならない。しかも注意すべきは、納馬奉行鷹野因幡守が年月日の記入を欠いていることで、何か理由がありそうである。

また連署者一二名の内三名までが武田家親族衆であり、残り九名も名士で、御宿監物・跡部美作守などは、元老として各三疋ずつ納馬している。

また僥倖軒宗慶は、本姓石坂、本国近江で、代々医家を以て聞こえ、京に住したが、信玄の懇ろな招きに応じて来甲、武田家の侍医となり、信玄の死後も勝頼・夫人北条氏の侍医として名医の誉高く、重臣として、大宮御神馬奉納者に列したのである。

 以上のうち二名はいずれも『国志』のそれぞれの位置に転載されているが、独り以清斎元松だけが『国志』に転載漏れ故、補って六三名とする。

 

 次に各武将の納馬数について、

「駿州大宮神馬奉納記ニ、工藤長門守御神馬二疋」トあり。

「是レモ有縁ノ隊長ナルペシ。

此記、神馬一疋ヲ並トス、

二匹 三匹 四匹 五匹ニ及ブハ縁ノ厚薄ニ因ルナリ。」

とあるのが当を得た説といえよう。

 

 前記「武田信亮等神馬奉納状写」は、奉納年月日の記入を欠いているが、この写本は「賜芦文庫文書」に収められ允もので、じゅうぶん信頼するに足る史料である。というのは、この写本を収める「賜芦文庫」の主、新見(しんみ)正路は江戸時代後期の幕臣で、文政12年(1829)に大坂西町奉行となり、在任中に淀川の大浚渫

工事を完成して舟運の維持に貢献し、河中より浚い上げた土砂で天保山を築き、市民に遊楽地を提供し、また将軍家慶の側用人として幕政に貢献した。愛書家として知られ、邸内に「賜芦文庫」を設け、影写本が東大史料編纂所に54冊、巻子本11巻がある。

それらの内の一通が旧大宮司富上家文書四五「武田信亮等神馬奉納状写」である。したがって旧大宮司家の原本はもっと多くあった筈で、筆者の推定では奉納状は少なくとも5通はあって、1通におよそ12~13名ほどの連署ではなかったかと思う。なぜならば、一通に12名が連署している割合は、63名ならば5通ほどになると思われるからで、馬の匹数を推定しても、12名が20疋と見なされる。

  『国志』編纂者たちが、文化3年(1806)に駿河大宮に赴

いて、当時は大宮司家に完全な姿で保存されていた奉納状から奉納者62名を写し、うち一四名についてはそれぞれの疋数も写し、計30疋に及びながら、残りの奉納者49名の奉馬72疋を書き留めなかったことは、折角駿河大宮まで資料収集に赴いた『国志』編纂当事者の迂閤さが残念に思われる。

 幸い、『静岡県史料』第二輯、富士郡「旧公文富上家文書」の中

に、遷宮に関する史料のあることを発見することができた。同文書八号の「富士大宮御遷宮入物引付覚」である。

 此の文書の端裏書には、「御遷宮入物引付覚、天正六戊寅年十二

月勝頼公御建立ノ記」とあるから、富士大宮の遷宮の際の入用物の控えに相違ない。巻子本で標題は、「富士大宮御遷宮入物引付覚」

とある。引付とは、「後日の例証とするために書き留めて置く文書・記録」のことである。引付覚の内容は次の通り。

 

 「第一   きぬ拾壱引(疋)是は御みそぎ廿一馬を各七□□ 

  第二   おみつき(御神酒)

第三   御ほこ 三本 但まきぎぬ有り

  (中 略)

第三十七 御神馬 三疋 是は本三社へ参御くら有り

第三十八 御乗くら御道具共に 一ロ分大ふくりん

第三十九 末社之御神馬 九十九疋 是は九十九社参候分

第四十  馬船 百二そう 右の神馬の入物

   (中 略)

第五十三 いむしろ 二百まい

第五十四 ちやうちん(提灯) 五十 」

 右のうち、第三十七-第四十が神馬に関する事項で、この「引付覚」の眼目とも見られよう。

 第三十七の御神馬三疋は、本三社(富士浅間神社の主祭神三柱、

すなわち木花開耶姫命・瓊々杵尊・萬幡姫命)に参らせるもので

ある。

 第三十八の御乗くら御道具共に一ロ分大ふくりんは、

本三社へ参らせる御乗鞍、御道具、共に一口分。

大ふくりんは鞍の金具。

 第三十九の末社の御神馬九十九疋は、末社九十九社に参らせる馬で、本三社の三疋と合わせて百二疋となる。

 第四十馬船、百二そう。馬船は馬槽、飼葉を入れて馬に食わせるための桶。馬船と見倣し一槽を一艘と呼ぶので百二艘といった。

 武田氏が駿河を分国に加えるために、信玄は永禄11年(1568)以来4ケ年の歳月に、言語に絶する労苦と、少なからぬ人的、物質資源を消耗して漸く初志を貫き、海国としての武田領国を造り上げたが、幾許もなく世を去った。

後を承けた勝頼も父の遺志を継いで駿河の経営に努め、長篠の敗戦後にもかかわらず、富士大宮社殿の造営、遷宮の大事業を成し遂げて、亡父の遺志を実現したことを喜んだことは想像に余るものがある。

そのあらわれとして、功労者鷹野徳繁に対し次の褒状を与え、徳繁の次男富士千代を当時空席の公文職に補任することを約したのであった。

  「 定

   富士大宮御道営びに

今度の御遷宮の儀に別して馳走せしむるの条、

感じ思し食され候。

弥(いよい)よ他に譲らず、

今より以後も祭祀修造の功に粉骨を端すべし。

然れば公文退転の間、

向後は其の方の次男富士千代を以て

彼の職に補任せしめ、

神役厳重に勤仕肝要たるべきの由、

仰せ出ださるるものなり。但って件の如し。

天正四作 十二月廿八日

     釣閑斎 跡部美作守 これを奉る

鷹野喜兵衛尉殿」(封筒書)

 

なお、公文家(鷹野徳繁二男再興)の記録「富士本宮雑記」に次のような記事がある。

「富士相模守信通、

去る永禄十二年より信玄公御意に背き、

伊豆韮山に整居仕り、因幡守御前申直し、

四和尚宮崎春長を遺し、韮山より同道致し、

因幡守一同にて武田信玄公へ御目見申し上げ、

大宮司退転の所、還任して社職之を務む、

其厚恩を以て口伝等伝授数し、公文職相続し候。

其後相模守子息蔵人娘を千代麿に嫁し、聳に申合侯。

宮司信通より因幡守へ申越候は、

向後千代麿親子に申合の上は、

神慮の奉公井公文家へ疎意有間数の起請文有之、

年号 天正五年十二月朔日」

 

と。この文中、相模守信通は兵部少輔信忠が正しい。但し、相模守をも受領していたであろう。因幡守は鷹野徳繁の受領名である。

 

頑固一徹、今川氏多年の恩顧に報いようと大宮城を死守した兵部

少輔(相模守)信忠は、北条氏康亡きのち甲相二国が復交すると、

大宮開城の已むなきに至ったが、大宮居住を潔しとせず、伊豆韮山に整居して謹慎していた。

 しかし、武田信玄の懇切な招きと、鷹野徳繁の誠意ある執り成しにより、信恵は甲府参侯を決意した。元亀三年四月甲府に参侯すると、信玄は信忠の罪を問うことなく、多年の篭城の労苦を慰め、旧の如く富士大宮司として神授に励むよう希望したが、信忠はこれを固辞した。ここでも鷹野の推薦により信恵の嫡男、蔵人信通が大禰宜職に補任され、父に代って大宮司職を代行することになった。

 武田勝頼が大宮の再興のために大きな決意をしたことは、想像に難くない。長篠の敗戦によって失った人的、物的戦力は想像を絶するものがある。しかも亡父信玄の本願は何としても果たさねば神慮に背くことになる。況して天正四年以来の宿題ともいうべき富士大宮本宮の造営と、それに伴う遷宮の儀式は信玄の後嗣としての勝頼の威令の見せどころともいうべき唯一無二の好機会である。

それに加えて神馬の奉納も一天晴の場であり、これが成功不成功は、勝頼の威令の尺度となると見られるものである。

 天正六年の遷宮予定に合わせて奉馬の日取りを打ち合わせ、遅参がないよう周到に計画は実施されねばならない。奉馬奉行鷹野因幡守の指揮が宜しきを得たのであろう。同年12月には奉馬は完了し、それに伴う神事も滞りなく行なわれたようである。

神馬の全頭数は102疋とある。神馬というからには優秀な馬であること勿論で、奉馬する武将の面目にかけても、鷹野奉行の立場としても当然に厳しい企画を守らせ、遺憾なきを期したことと思わ

れる。

 武田氏による富士大宮本殿の造営もこの時に行われたことは当然として、現存の本殿は武田氏造営のそれでなく、関ケ原合戦勝利の後徳川家康が大願成就奉謝として、従来の形式に倣い、建造奉献したものと伝えられている。

言い伝えの通りであれば、あの壮麗な二重楼閣型の本殿の組型は武田勝頼によって奉建されたものとして、その労苦を深く讃えるものである。

 この小文は、聊か冗長の嫌が無くもなかったが、久しく幻の記録とされていた「駿州大宮神馬奉納記」の正体を突きとめ、それにメスを加えてみたのである。

 ご批正をいただければ幸いである。






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最終更新日  2022年03月23日 05時56分00秒
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