カテゴリ:旅
みなさん、おはようございます。
芽ぶきの部屋へおいでいただきありがとうございます。 いよいよ、永平寺です。 当たり前かもしれないけど、山の中でした。 冬は雪で瓦が壊れるので・・・とカンパを訴えていたのが印象的でした。 現代の寺は、こういう訴え方をするのか・・・と驚いたり、嘆いたり・・・。 だって、スピーカーを使って大きな声でお志をという訴えです。 むかしは、檀家とかが中心になって支援の動きを作ったのと違うかしら? 要するに、ここへきた人全てにカンパを要請しているという感じ。現代風といえばそうだけど。 納骨の前に、寺全体を見ておきたいと思って、大急ぎで参拝券を求め、かなり駆け足で見学して回りました。 ふるい建物そのままの感じのところもありましたが、かなり改修されて新しくなっていました。同行した妹は、以前にもきていて、むかしの黒光りした廊下の方が風情があって断然よかった・・・とこぼしていました。 古くなり改修せざるを得ないとなれば、仕方のないことです。 確かに今も残る古い部分の方が趣がありました。 黒光りする板を踏んでいると、これまでにどれだけの人がこの板を踏みしめたことだろうと自然に過去へと思いがとび、歴史を考えます。 全体的に厳粛な感じが漂っていて、やはり 寺だと思いました。 修行中の坊様たちがたくさんおられて、なにかをした後、話した後にも、両手を合わせてお辞儀をされるのが印象的でした。 一方、参拝券の販売、その取り扱いなどいかにも、流れ作業のようないわゆる業務化しているような一面もあり、時代の流れなんだと痛感。 納骨の手続きにしても、申し込んであった書類と照合して、位牌の文字にまちがいがないか確認、費用を納め、記念品を渡されて、後はこの日納骨する人たちを集団で法要をする部屋に案内。まるでコンベア-にのって移動するような気になりました。味気ないといえば言えなくもありません。 お導師さまが見えられ,法要が始まりました。 その前に作法について説明がありました。 説明どおりに進行していきます。時間も予定通りです。 この儀式の中で感心したこと。 読経の僧侶の声が実に見事で、10人以上おいでだったのに、声の高さ、速さに少しの乱れも見られなかったことです。まるで、一人の人が読経しているようでした。 発声も独特のものなのか、心地よい響きで、この読経のリズムにひたっているうちに、父もきっと喜んでくれると確信にも似た気持ちになりました。 その場が作り出す空気のようなものの力を感じました。 わたしたちは父が大往生したと思っているので、(91歳で、寝付くこともなく逝きました)心安らかにおくることができましたが、例えば、病気などで若くして亡くなられた方をおくる場合や、親が子どもを送るような場合は、もっと辛くて複雑な気持ちでしょうね。 今、ここにご一緒に座っている人たち(7組の納骨でした)の思いはそれぞれであり、亡くなられた方もちがう人生を歩んできたわけだけど、これからはみんな仏としていっしょに過ごすのかなあ・・・などと,普段考えもしないようなことをしきりに考えている自分がいました。場の持つ力のなせるところでしょうね。 全ての日程が無事終わった時は、心底ホットしました。 父が穏やかな向こうの世界から、今のわたしたちを見ているような気がしました。 仏教の心、宗教の力には縁遠く過ごしているわたしですが、本山に納骨してよかったと思ったことでした。 寺での画像は1枚もありません。写真を撮るような雰囲気には思えなかったので、カメラは持参していましたが撮らずじまいでした。 そうそう、びっくりしたこと。 永平寺は5時で閉門。 終わって出て行ったら、いるのはわたしたちだけ。 門前のあれだけ「おいで。おいで」と手招きしていたお店も全部閉まっていました。閑散といおうか、静寂といおうか、本当に人がいないのにはびっくりでした。駐車場もわたしの車1台だけでした。 5時6分に駐車場をでました。車も全くなくなりました。 普通の観光地ではないのだとあらためて思いました。 文字だけじゃさびしいので、 ぐんまフラワーパークのベゴニアです。ベゴニアだけの一角がありました。 群になるとなかなかのものですね。以前に撮ったものです。 訪問してくださった皆さんにおねがいです。 この娘さんを探しています。 どんなことでも情報がありましたら知らせてやってください。 三奈子さんをさがしています お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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