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今年の春、福音館書店の編集者でいらした松居直さんの講演を聴く機会がありました。
有名な「ぐりとぐら」や「おおきなかぶ」など 数々の素晴らしい絵本を出版なさってきた方です。 見た目も(失礼)とってもかっこいい紳士でしたよ♪ 少しですがメモをとってたことから。 絵本は子供が読むものでなく大人が読んであげるもの、 という一言から始まり、 テレビの音より慈しむ大人の声で無いといけない、 教わるのは頭に入るが聴くのは心に入るもの、 日本古来の文化や伝統が、 言葉や独特の調べや絵にしっかりと受け継がれていること (考えたことなかった!) 言葉には力があり言葉は命と同じ、 母の読み聞かせとは母から命をもらったようなもの、 というお話はとても印象的で、驚きもし、納得もするという 感覚が一度に押し寄せてきました。 実際に私自身が感じることは、 生の声、同じ空間にいる人が発する声や奏でる音は、振動が全く違う。 耳からというより、全身から。 頭のてっぺん足の先、お腹や骨にも響くし 毛穴という毛穴から細胞に入ってくる感じがするくらいです。 だからライブ大好き。舞台大好き。 小さな子供や赤ちゃんなら繊細そうだし、 もっともっと違いがあるのではないかと思います。 まさに松居さんの仰ったとおり 「お母さんのお腹にいるときから声と心臓の音と気持ちを感じている」からでしょう。 そしてその赤ちゃんが何十年も歳を重ねて、 いつか旅だつ準備にかかり、 看取られるときがくるわけで、 再び松居さんが語ってくださったご自身のお母様のお話、 当時90歳のお母様が、息を引き取る直前、 子一人ひとりが耳元でわらべ歌を順に歌うと 意識がないはずのお母様がにっこりした。。。というお話に辿りつくのだと思います。 お名前は失念しましたが、看護やグリーフケアに携わる人に伺ったことがあって 最後まで感覚が残る器官は耳ですから、 認知症で理解できてないようでも、 耳が遠かったり意識がなくて聴こえてないようでも、 実は聴こえているから、 わからないと思って、遺産の取り合いとかつまらない揉め事などきかせないで、 感謝の言葉など優しい語りかけをしてくださいと。 それはきっと、赤ちゃんでも同じですね。 目が開くより前のお腹に居るときから聴こえているのだから。 それに何より、そこに「言葉」があるから 「言葉の力」「言葉とは命である」ということが伝わりました(*^_^*) こんな感じですけど、すぐ忘れてしまう私としては わずかですがメモをとってよかったです 私が幼稚園に通っていたころ(40年近く前です) 絵本を読んでもらった記憶はないのですが、 幼稚園には「お話の先生」と呼ばれる先生がいらして、よく覚えています。 お姉さんみたいな若い先生が多いなか、 お一人お祖母ちゃんに近い感じに見えていました。 今思うと、覚えているのは怪談じみた話や悲しい話だけど、 園児はいつも「お話して~」と追いまわすほど、 お話の先生は大人気だったのです。 私が聴けたのは主に帰りのバスなので、 その先生がバスの付き添いになる日が楽しみでした。 覚えてる話は、エジプトの王の話と、うんちゃんのごんた。 エジプトの王はツタンカーメンだった気がするんだけど。 ストーリー的には違うから適当につけたのかしら。 戦で王が死んだときいて、仲睦じかった奥さんが探しまわる話です。 「王様、王様?」と一人ずつ亡くなった兵士の顔を覗き込むんです…(/_;) うんちゃんのごんたは、トイレの花子さん的な怪談でした。 ごんた君という、やたら怒りっぽい男の子が主人公です。 ある日、トイレで紙がなくて、ごんた君は紙が無い!と怒ります。 すると天から声がして「赤い紙か~白い紙か~」とおどろおどろしく訊かれる。 ごんた君はそんな状況にビビることなく「当たり前やろ!」と怒る。 すると白い紙がひらひら舞落ちてくる…んだけど、つかもうとすると消えちゃう。 またまた怒ったごんた君、文句をいいます。 するとまた「赤い紙か~」もう仕方ない、赤いのでいいと応えます。 そして赤い紙がひらひら落ちてきたので、今度はシッカリ掴んでみたら… ひや~恐くて書けません なんせごんた君もびっくり仰天して、お尻を拭かずに飛び出してしまい 後にちょっとしたオチがあって、お話を聴いてた園児は大笑いでした。 でも、私は思い切り感情移入して笑えませんでした。 だってめちゃ恐いんだもん、拭かずに出ても仕方ないよって。 懐かしいなあ。。。(遠い目) 読んでくれてありがとう☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年11月19日 23時48分03秒
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