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2013年08月18日
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今年も祖母や親せきを訪ねて岡山県に盆帰りしましたスマイル

昨年は途中で備中一ノ宮である吉備津神社に寄りましたが
(昨年の日記⇒2012年8月16日

今年は備前一ノ宮である吉備津彦神社スマイルダッシュ

この二つの神社は2キロしか離れておらず、どちらも中山という聖なる山にあります。

もとは「吉備國」という一つの国の大きな社だったのですが
後に「備前」と「備中」に分けられたそうです。
(同じく吉備國だった「備後」も
備後一ノ宮 吉備津神社です)

主祭神は吉備津彦さんですきらきら
(HPの記載は、吉備津神社…大吉備津彦大神、吉備津彦神社…大吉備津彦命)

吉備津神社より静かな感じでしたが、なんというか

生命力が強いというか大きいというか、
そんな印象を受けました(#^.^#)

2013-08-17 18:28:25
狛犬さんは備前焼ウィンク名前は分からないけど江戸時代の陶工ですって。

鳥居くぐって、参道の左右に神池。

2013-08-18 14:47:47
鶴島亀島に分かれています。

鶴島は風の神で暑熱の災難を防ぎ、
亀島は水の神が守ることで洪水を防ぐ

と、「風水」で災いを防ぐ意味があるそうです目きらきら

この考え方で古式の流鏑馬神事があるそうです馬
流鏑馬の的は「日輪」と「大地」を表す…
的って確かに輪っかが重なってるけど、そういう意味だったのか(゜レ゜)


こちらは鶴島きらきら

鶴島神社というお宮さんに祀られているのは
底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)
表筒男命(うわつつのおのみこと)、神功皇后(じんぐうこうごう)

この松の木は根元が半分以上朽ちてますが、逞しく生きています。

2013-08-17 18:27:57

この方が分かりやすいかな?
支えられて、大切にされてますねきらきら
2013-08-17 13:59:10

とんぼがたくさんいました~羽の黒いのや、鬼やんまも、銀やんまも。

蛙やフナがはねたりして、独特の匂いもあったし^m^


そして、亀島きらきら

亀島神社に、市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)

石橋の向こうは、神秘的目きらきら

2013-08-18 15:45:59

こちらの聖なる山には磐坐群があり

池にあるのは、その山から里に下りてくるときの磐坐
依りしろだそうです目

神社の冊子によりますと、
これらの庭園は、元禄時代に手入れがされているが、もとは
平安時代の作庭だと重森三玲さんの調査でわかったのだそうですよ目

神池は水と緑が豊かなせいか風が吹くたび涼しかったです。


写真撮り損ねましたが、随神門と、境内の平安杉もまた印象的でした。

夏至の太陽は随神門の正面から登るよう、
古代の太陽信仰に基づく配置なんですて.。o○


可愛いおみくじスマイル
2013-08-18 15:39:54

それから温羅(うら)神社も。

温羅は、桃太郎の鬼退治の鬼のモデル、
吉備津彦が戦って滅ぼした相手ですが

吉備地方に早くから勢力をもっていた渡来系一族といわれており
製鉄など多くの技術を伝えたといいます。
備前の刀が有名なのもそこからきているとか('_')

そのような恵みの一面があるので、
それを「和魂(にぎみたま)」として祀るとありました。

昨年、吉備津神社でも感じたのですが、大和朝廷側と互角の武力があり
「苦戦の末に」敗れたまつろわぬ者(大和側から見て)の遺構が多いのは
それだけ重要な意味をもつ人々であったのでしょうね。
 
それは吉備だけでなく。

境内はさすがに暑くてたまらなかったけどびっくり
興味深い神社に参拝できました。

いろいろ気に成ることがでてきて、一旦外に出てたのですが戻って

桃のおみくじ引いて、冊子をいただいてきました。
2013-08-18 15:08:07

ホームページもいいけど
このごろ目が疲れやすくて(^_^;).。o○



読んでくれてありがとうみずがめ座
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ちなみにちなみに、私が育った加古川畔の古社について
吉備津彦が遠征途上、吉備國への入口に選ばれ丁重な神祭が行われたと、吉備津神社のHPに記載されていましたが、加古川の神社の方では記載ありませんでした。。。(・・?)





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最終更新日  2013年08月18日 15時57分20秒
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