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ぐりとぐらが好きな人、知っている人ならとっても楽しいですよ♪ その美術館の常設室である柿もり(漢字がでないわ(><))文庫もお勧めです。 江戸時代の伊丹の俳人、上島鬼貫や、有名な俳人のコレクションがあるのです。 東の蕪村、西の鬼貫と称されたという(伊丹に住むまで知らなかったけど)上島鬼貫の素敵な画賛がありました。 絵はどなたのものか分からないけど、何故か眠った顔の六歌仙の皆様。 「花鳥と 歌の種まく ねむりかな」 歌の種、で連想したのは、古今和歌集の序文にあたる仮名序のことば。 「やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりけり… 」 仮名序は紀貫之によるもので、全部平仮名。 鬼貫は紀貫之をとても尊敬していたとあり、だからこの句なんだな~と。 種、という言葉は、私も魅力を感じます。 栄養がつまってて、それだけでまずは芽を出せる。でも水と光とつちがなければ育つことはできない。 でも種が始まり。 自分が経験してなくても、共感の種があれば、何かが芽を出すのではないか。 そんな言葉を、どなたかの講演で聴いてから。 3・11の東日本大震災のこと。 距離があると、報道されないと、知る機会がなくなると、ますます遠くなるけど、全く同じ体験なんて出来ないものだけど、それでも、共感の種は、あるんじゃないかと。 そんな芽を、摘んだり枯らすことなく、育てていけたら、まったく関心もてない、まったく共感できないことは、なくなるのではないか、 少しずつでも。などと、思ったりする。 読んでくれてありがとう(*^-^*) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年04月28日 13時36分25秒
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