★2年半の時を経て
昨日、2年半振りに友人からメールがきたメールを貰って、びっくりしたというのも、彼女のほうが私から去っていったからだ私は基本、「来るもの拒まず、去るもの追わず」 で生きてきたしかし、占い、レイキ、ヘミシンク‥ と勉強していくうちにそういう考えでは、いけないと思うようになっていったもちろん、「来るもの拒まず」 なので去っていってから、また来た場合受け入れるだろうけれど‥でも、「去るもの追わず」 なので、去っていった人を許し、愛し、受け入れるような、大きな心を持てなかったこの2年半という間、彼女に対しレイキやヘミシンクでアプローチした事は微々たるものだが、何回か有るでも、許そうとする心に、当時傷ついた心が反抗をしていたネガティブな心にはならないが、一歩踏み込む許しまでいかない傷ついた時の自分が、その時の痛みを放さないのだ絶対に、怒りとか恨みとかには変換しないけれど‥ やりきれないただ、傷ついたそして傷ついた自分が、可愛そうだっただから、彼女に遠隔でレイキを送ってもヘミシンクで、自分の心の解放や相手との意志疎通を計っても心の底からは、出来ていなかったのだと思う昨日のブログにも書いたが、昨日の朝リモート・ビューイングを行なった私はそこに、「楽しかった」 「エネルギーが充満している」「うきうきした気持ちで散策できた」 と書いている実はこれ、昨夜メールを貰った彼女にその朝、ヘミシンクで訪ねた時の気持ちであるナレーションでは、「友人のところへ行きましょう~」 とある誰にするかを考えていなかったのだが、とっさに彼女にしたのだそれがいままでと違い、とても心軽く行くことができたそれどころか、うきうきとしている自分が居たほどである「私は彼女を、心から受け入れられたのだなぁ‥」 と感じたのだそして、その夜である ‥いきなり2年半ぶりに、メールがきた!目が点になった (゚.゚) 今後彼女とは、どういう風になっていくかは分からない特に私はこの2年半、レイキやヘミシンクを中心にしているこういう時に、多次元って有るだろうなぁ~と感じるきっと、それなりの付き合いでいくのだろうと思うでも、それが問題ではない自分の中の開放されなかった自分‥ 過去の自分を開放できた相手ではない、常に変わるのは自分である必要があるそして、それが一番手っ取り早い ‥大変だけど。でも、自分を解放すると、とても幸せである傷ついた自分を、自分で癒して愛してあげればいいのだ「傷ついた」 という事実に囚われていては、幸せになれないと感じた