★忘れている一言
突然の感謝の言葉を受けて、私は面食らってしまった。話しは数年前に遡る。その人が、ある先輩の指示通りに行なったら、先輩以外の他の人たちから総スカンにあってしまい、そこに在籍できなくなってしまったのだ。本人に全く罪はなく、言われたままにしただけなのに、その行為が非常識なことだと、責められてしまったようである。その人に罪はないのだが、殆どの人が知っていることを知らなかったことになる。だから、知っていれば回避できたわけで、知識の必要性を感じる出来事だった。「知者は惑わず勇者は懼れず」 と言うが如く、知っている者は、どんな事態になっても迷うことがないが、知らなかったことで、間違った情報を鵜呑みにしてしまい、最悪の結果を向かえてしまったわけである。その時私が別の情報を流したようで、そこに執着しないで、心機一転別の場所で新しい事をするようと、勧めたみたいである。みたいである‥というのは、覚えていないからだ。「なんかそんな話しを聞いたことがあるなぁ‥」 という程度の記憶。まさかその時の私の一言で、別の場所で新しく始めたとは知らなかった。いや違う‥、知っていたが、そうなった経緯に私が絡んでいたとは、思いもしなかったというのが正しい。これなんかは、その人の背後の見えない世界の人から、私を使って情報を流させた、というのが真相である。その人がどん底から這い上がるのに、私の情報が必要だったわけである。だから誰でもよかったが、手っ取り早い場所と時間に私が居たから、私を通じて情報を流しただけである。それでも、感謝されると嬉しいものである。大したことは一切していないのに、感謝の言葉を貰ってしまった。その人にとって大事だったから、ピンポイントで心に届いたのだろう。「私をあなたのしもべとしてお使いください」この言葉は、聖書の中に書かれている、神へ捧げる祈りの言葉の一つだ。私たちは望むと望まないとに限らず、お互いを助け合うために、神の使いとして知らずに行動をしている。そうやって相互間で、助け合って生きていくのが人間なのだ。人間として生まれてきたのだから、この精神に則って生きていきたい。