宿泊場所が見つからない
その町までクルマで5時間、そこから村へは1時間。未舗装路を土ぼこリを撒き散らしながら、山を上っていく。村というより、集落がいくつかあるだけ。マーケットもなにもない。1本道を間違えたら迷路のようで、一番近い幹線道路まで戻るのが大変。見渡す限り山々、360度、山波が続いている。そこへキリムを織る女性たちに会いに行った。今年はまだキリム織りが始まったばかりで、限られた人しか織り始めていなかった。この村では農業と牧畜で生計を立てている。夏は畑が忙しく、女性たちはキリムを織らない。農閑期になると、男性は家にこもり、女性たちも家でキリム織りの内職をはじめる。工賃の安いキリム織りは、現金収入が得られない時期に、ほかに収入手段がない女性たちに限って行われる。もっとよい仕事が見つかるなら、父親や夫が工場で働くことを許してくれるなら、キリムなど織らない生活がしたい・・・というのが本音であろう。同じ道を1時間かけ、ふもとの町まで戻る。それから定宿にしているホテルへ行くと・・・・なんと満室。いままで一度もこんなことはなかったので、予約をしておくなんて頭がなかったわけであるが、他のホテルでもいいや、と何軒があたった。ところがどこへ行っても、町で一番高くて誰も泊まりそうもないところでも満室・・・・。いったいこの町に何があるのだ・・・。どうやら商工会議所関係の集会があるようで、トルコの各地から商人、会社関係者たちが集まっていたよう。・・・・それはいいけど、困ったのは私たちである。地元の友人がうちに泊まっていけ、と言ってくれるのだが、同行者もあるし、疲れていたのでホテルでダラ~ッと過ごしたいと思っていた。どうしても見つからなかったら、友人宅に行くことにして、ホテルを探した。同行の4人の学生さんたちには本人たちの希望でとにかく安いところ・・・・と1人5リラ(約420円)のホテルで部屋を見つけた。が私とアドナンの分がない・・・・。小さな地方都市なので、ホテルの数にも限りがあった。どうしても見つからず、8キロ先の幹線道路にあるモーテル形式のホテルがあったのを思い出して、電話番号案内で聞くが登録がなく、ホテルのある場所まで出かけていった。シングルが1部屋、ツインが1部屋あるというので、迷わずチェックイン。そのあと来たお客さんには満室です。の返事。ギリギリ宿無しにならずにすんだわけである。よほどのことがない限り、どのホテルも満室。なんてことはないのだけど、今回の教訓。チェックインは早めに。もしくは予約しておくこと。・・・・なんだか、当たり前のことなんだけど、普段気にもしないこと。翌日は村民バザールの日だったので、学生さん4人と見に行って、オヤつきのスカーフを買ったり、バザールで買った野菜やフルーツを焼き鳥屋(?)さんに持ち込んで、お皿に切って盛り付けてもらい、屋外のテーブルでピクニックもどきをしたり、スーパーにお土産を探しにいったりした。もちろん町なかでキリムを織っている女性にも会いにいき、ついでにこの地方独特の織り方を、学生さんたちに覚えてもらった。左右の手の使い方を覚えると、キリム織りがかなりラクになる。コツをつかむまで分からなかっただろう、私が言う「軽快なキリム織り」の意味が少しわかってもらえたかな・・・・って。これでアイシェのところに戻って、自分たちのキリムを完成させるのに、早く軽快に織るための役に立ってくれるといいのだけれど。夜は道がすいていたので、飛ばして飛ばして予定より1時間半ばかり早く村のアイシェの家に戻った。実は今日、娘のブルジュがアンタルヤの病院で耳の手術をした。入院はせず帰宅してベットで横になっていたが、手術が長引き、母親であるアイシェもブルジュ本人も疲れ果てていた。しかも朝7時に家を出て、夜の7時に家に帰ってきたところだという。娘の手術の心配で泣いてしまったというアイシェは、学生さんたちが戻ると笑顔になって、疲れているだろうに、夕食の準備をしはじめた。チキンのスープ、いんげんのトマト煮、トマトやビベルのピラフ詰め、ジャジュク。私とアドナンは、ブルチュと学生さんたちがそれぞれ食卓についたのを確認して、アンタルヤへ戻った。アイシェは私たちが一緒に食事をしないと知り、猛烈に怒った。「食わないと帰さない。食事をしないで帰るなんてできると思っているの!?」そりゃ私にとっても、アイシェの作る村の家庭料理を目の前に、空腹をかかえ、立ち去るのは至難の業。でもレンタカーの返却の都合があるんだもん。仕方がないんだよお・・・・。明日までトマトのドルマ(私の好物)は残ってないよなあ・・・・って。