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カテゴリ:アメリカ映画
現代にキリストが甦れば、
人は再び、救いを求めるわけではなかった。 救われたい>金儲けしたい。 まるで何事にも興味がないように、 だが、何者にも彼は優しく慈悲深い。 洗礼名はジュブナイル、 ジャングルの奥地で布教活動をしていて、 そこで手をかざすだけで現地の人の ケガや病気を治していた。 まさに、現代の救世主、なのだろう。 その彼が、都会の教会が行っている、 アル中患者のリハビリセンターで働いている。 それがである。 いつのまにか群がるのは、 救世主の奇跡にあやかって お金儲けしたい人々である。 「タクシー・ドライバー」の監督で知られる、 ポール・シュレイダー監督・脚本の作品。 スキート・ウルリッチの初主演作に、 ブリジッド・フォンダや、 クリストファー・ウォーケンが絡む。 洒脱な雰囲気に、ぬるめのエピソード、 だが、現代に救世主が甦れば、 自ずと、周囲にいる人々と現実が重なる。 救われたい>金儲けしたい 盲目の女性を治したり、不治の病を治したり、 そんな奇跡が感動的に描かれるより寧ろ、 奇跡の周辺で変化した家族関係が描かれる。 例えば、盲目の女性は、とっても元気になって、 夫は今まで通り、威張れなくなってしまった。 救われたい>金儲けしたい 司祭となってジャングルの奥地で奉仕活動したのに、 カトリック教会は彼を認めなかったのだ。 認めないということは、認めない理由がある、 つまりは、自分たち以外は受け入れない。 救われたい>金儲けしたい これは、金儲けできるぞ、奇跡で金儲け。 インチキ宗教家のビルはジュブナイルをつけ回す。 空回りなのに、執拗に。 それでもジュブナイルは 漂うように生きている、乞われるままに。 ケガや病を治す度に、まるで 磔になったキリストのように手と脇腹から、 ダラダラと血を流す。 でも彼はもう、慣れっこだ。 最初は、ビルに頼まれて、 アル中のフリをしてリハビリセンターに潜り込んだリン。 騙し騙されの憶測を全て乗り越えて、 ジュブナイルはただ、彼女の苦悩を見る。 なんとなく、なんとなく、 恋に落ちるジュブナイルとリン。 初めてはっきりと彼は、 自分というものを表に出す。 「神は信じるけど、教会は信じない。」 ジュブナイルは言う、神は信じると。 自らに力が宿ったことに、不可知の力を感じるのか。 そして、力をなくしたジュブナイルは、 何一つ彼自身変わることなく、 リンと共に生きる生活を選ぶことになる。 そうなることは、不可知の手によるものか、 それとも、本当に偶然の産物かは誰も知る由もなく。 ただし、ジュブナイルで 金儲けを目論んだ者たちは、 散々だったようだが。 現代にキリストが甦る。 救われたい>金儲けしたい、のようである。 だが、当の本人は、救いも金儲けもどこ吹く風だ。 ちなみに、この映画もお説教は見当たらない。 おまけに、裸にエプロンというサービスショット付き、 この作品、神や奇跡を扱っておきながら 漂う風情は、飄々しているのだ。 その真剣味の無さが、持ち味である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.04.01 01:40:49
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