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カテゴリ:アメリカ映画
「大丈夫よ、もちろん」
満面の笑顔だが、泣き顔に似ている。 ローラ・ブラウンの友人は美しく着飾っているが、 自分の病気を知っていた。 「大丈夫よ、もちろん」 (大丈夫じゃないなんて、あり得ない) ヴァージニア・ウルフ、 イギリスの作家、1882年生まれ。 彼女が紙に走らすペンの先から 『ダロウェイ夫人』が生まれようとしていた。 「・・・・ミセス・ダロウェイは言った。 花は私が買ってくるわ」 花がテーブルに飾られる。 その花は、クラリッサ・ボーンが飾る花、 別の花は、ローラ・ブラウンが飾る花。 3つの時代の三人の女性。 彼女たちは自分の世界を飾ろうとしていた。 作家は現実に居ながら、 架空の世界に揺られている。 ヴァージニア・ウルフの目は遠くに。 周囲は彼女の精神の病を心配する。 自分は、良くなって、いるのだろか。 わからない、わからない。 わからないのだ。 良き妻で、良き母親で。 ローラ・ブラウンは友人の不幸を知る。 「大丈夫よ、もちろん」 だが、自分が幸せかどうかわからない。 幸せは、他人と比べるものではないのだ。 クラリッサ・ボーンは、 エイズに冒された友人の世話を続ける。 リチャードはその昔彼女に、 「ダロウェイ夫人」と言った。 小説と同じ名前の男女は、 幸せな過去の鎖で繋がれている。 何故繋がれているのか、わからないまま。 愛されている。 彼女たちはとても愛されている。 夫にも恋人にも、友人にも子供にも。 彼女たちは愛されていることを知っている。 その愛に応えたいと思っている。 美しく着飾り、ニッコリと微笑む。 満面の笑顔は泣き顔に似ていて、 そして、背中を見せ、 一人になり、泣き崩れる。 「大丈夫よ、もちろん」 (大丈夫じゃないなんて、あり得ない) 彼女たちのために。 男たちは精一杯の愛情を見せる。 だが、彼らの思う「彼女」たちは、 「彼女」そのものであるはずもない。 それでも、愛情なのだ。 社会が女性に用意した枠組みがある。 ここに居ればいいと言う、 どこにも行く必要はないと言う。 それは悪しき慣習からの強制もあれば、 愛情ゆえの優しさでもある。 だが、彼女たちが望んだものでもなく、 望んだかどうかさえ、わからないまま、 応えようとし、着飾り、微笑む。 そして、背中を見せ、 一人になり、泣き崩れる。 メリル・ストリープ、 ニコール・キッドマン、 ジュリアン・ムーア。 別々の時代に生きる彼女たちは、 あふれんばかりの愛情を持ちながら、 自分の居る場所から出ようと模索する。 彼女たちの居る場所のどれかが、 いつの時代であろうとも、 女性のいる場所であるかのように。 「大丈夫よ、もちろん」 怖れていた水の中へ、 ヴァージニア・ウルフは自ら入っていく。 夫の愛情を痛いほど知っている。 この上もなく感謝している。 幸せな時間のことも知っている。 それでも彼女は死を選ぶ。 良き母、妻であることを捨てて、 自分が生きようとしたローラ・ブラウン。 ローラの息子リチャードはエイズに冒され、 クラリッサ・ボーンの目前で飛び降りた。 彼もまた、彼女のために、 世話をしてくれる彼女のために生きていた。 誰かが死に、誰かが生きる。 何かを受け入れ、何かを否定する。 いつも、いつも人は。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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