テーマ:レンタル映画(818)
カテゴリ:合作映画
瞳は自信に満ち溢れ、
しっかりと聴衆を見つめながら、 力強く連呼するのは、 単純で短絡的な結果のみ。 理屈はいらない。 力強く同じ言葉を連呼することで聴衆はやがて、 妄信的にその言葉に飲み込まれていくのである。 アドルフ・ヒットラーは 猛烈に敵に挑みかかる獣のように 熱弁を振るい聴衆を沸き立たせるが、 なんのことはない、同じ言葉の連続である。 ただ、力強く声だけに連呼することで、 聴衆は次第にその言葉に飲み込まれ洗脳され、 自らの意志を彼に重ねてゆくのである。 まずは若者たちから精神が犯されていく。 やがて、独裁者アドルフ・ヒットラーの名のもと、 ナチスドイツという帝国が生まれる。 その独裁者アドルフ・ヒットラーが まだ、ただのアドルフ・ヒットラーであった頃の物語。 1918年、ドイツミュンヘン。 彼は画家志望の冴えない貧乏な軍人だった。 ボロボロの画集を抱えたアドルフは、 鉄工所画廊のオーナー、マックス・ロスマンに出会う。 ロスマンは戦争で右手を亡くしたユダヤ人の画商。 画商は既存の芸術で商売をするが、 若い才能を発掘することで 莫大な利益を得ようと考えているもの。 ボロボロの軍服を着ていようが、 画集を持った青年を放っておくはずはない。 だが、アドルフの絵は技術はあり上手いが、 何かを惹きつける才能を見いだせなかった。 芸術の輝きは技量だけでは生まれない。 それでもロスマンがアドルフを放っておけなかったのは、 あまねく絵を描く者への愛情のように見えた。 ロスマンがアドルフにもった愛情は 彼が家族や妻、他の絵画やアーティストに対してより、 はるかに少ないものであっただろうに。 アドルフはそのわずかな愛情に、 必死にしがみつき拡大解釈をはじめていた。 自分の絵をわすかでも認めてくれる人は、 興味さえもたない人々よりもずっと重要人物になる。 わずかな興味も大いなる愛情にさえ思えてくるようだ。 アドルフは鉄工所画廊に入り浸るが、 ロスマンは本気で相手にしなかった。 ロスマンがこの後、 アドルフに見いだすものは才能である。 ジャンルに縛られた絵画ではなく、 独創的な未来社会が、 ファッション、シンボル、道路、町なみ さまざまな側面から多層的に描きだされたスケッチに、 大いなる時代の息吹を感じることになる。 だが、ロスマンが彼を見いだすまでに 時代はアドルフの特技を必要としていた。 宣伝。 瞳は自信に満ち溢れ、 しっかりと聴衆を見つめながら、 力強く連呼するのは、 単純で短絡的な結果のみ。 理屈はいらない。 力強く同じ言葉を連呼することで聴衆はやがて、 妄信的にその言葉に飲み込まれていくのである。 アドルフ・ヒットラーを演じるのは、 ノア・タイラー、アクの強い名優である。 彼の能力を充分に発揮できる役に恵まれない中、 稀代の独裁者の若き日々は 俳優としてのワザを存分に見せられる役柄だったろう。 同じくマックス・ロスマンもまた ある意味、アクの強い俳優が演じている。 ジョン・キューザック、彼の場合は、 どんな役柄を演じようが たくさんの人々にも愛されている魅力を放つ。 役にのめり込むというよりも、 どんな役にでも自分の個性を見せる俳優。 ノア・タイラーとジョン・キューザック、 タイプの違う役者が演じることで、 二人が結局、重なることなく終わる悲劇が リアリティを持つように思える。 アドルフ・ヒットラーは、 才能ではなく特技を歴史に愛された。 そして彼が独裁者として達成した帝国は、 既に画集の中で描かれていたのである。 才能は特技の前に道具として使われ、 一人の人間を魔物に変え悲劇へと誘っていく。 ユダヤ人のロスマン、 彼もまた時代によって命を奪われるのだ。 時代に愛された者は幸福になるとは限らない。 翻弄され魔物に魂を売り渡し、哀れな末路へと、 まっすぐに突き進むアドルフを止めることが出来たのは、 まぎれもなくマックス・ロスマンだったのに。 人間だけが人間を救えたはずなのに。 はがゆくも哀れを感じる物語。 この後の戦争に一体何人の命が奪われただろうか。 誰もがアドルフになり得るのである。 誰もがマックスになり得る。 誰もが一つの出会いに運命を変えられていく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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