NHK大河ドラマ平清盛は終始サイコロを振る場面が多かった。日本人は賭場で丁か半で勝敗を決まるのが好きなのか、単純なのか、気が早いのか? 丁か半の賭場に対してギャンブルとなるとバタ臭くなりチョット違う。我々は一日に生活の中でもAかBか二者択一の場面に出くわし、その場面は間断なく珠繋ぎのように連続してしており幼稚園を選び、学校を選び、会社を選び、結婚相手を選び究極は生か死の選択となる。、 成り行きで選択の場合と計算ずくの選択と分けると、ギャンブルは計算ずくの選択で、様々なスキルが存在し、工夫され対戦相手との間に駆け引きが生まれ単純にAかBを選択する日本人の賭場で丁か半で決め事をするのとは本質的な違いがある。 ギャンブルと言うと、映画の「ステイング」が思い浮かびポーカーフェースとかハがッタリで演技す所が面白く単純な丁か半では生まれてこないストーリーが展開される。大河ドラマの丁か半とギャンブルとは大分が違う。 と言う訳で公的ギャンブルを展望すると競馬、競艇、競輪、宝くじ、ロト6、パチンコ等思い浮かぶが、これら最後に掲げたパチンコだけが群を抜いて規模が大きく市場として見ると、果たしてこれをギャンブルのカテゴリー入れて良いものかどうか迷うのだ。パチンコの年間売り上げは2011年度で約23兆円、同年マカオの 売り上げが2兆600億円で10倍強でダントツにデカイのだ。 どう考えてもこれらは同じカテゴリーにブチち込めないの言う分けでここの所ギャンブルについて思い巡らす事が多い。だが、有識者の間で日本で公式カジノ公開が論議されて久しいが一足にインターネットで遊べる オンラインが上陸して来てしまったのだ。 さらにスマフォではプレイが難しいと言われていたゲーム「ペラジョン」つい最近リリースされたのでこのページの冒頭で紹介させて頂いた次第です。 さて、物の本で日本人はフライパンの上のいり豆だと酷評をしているのを思いだすが、何かパチンコと言うのは日本人独特の民族性に根付いたゲームで あって欧米人の言うギャンブルとは同一視出来ないものだと付け加えて起きたい。パチンコはギャンブルの範疇には入らない、日本人の作り出した世界に類を見ない文化なのだ。
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最終更新日
2013年03月08日 23時48分43秒