カテゴリ:覚え書き
長い冬も終わり、ようやく春がやってきた今日この頃と思っていたら……
突然の訃報。 しかも、あまりにも悲しすぎる訃報。 親友の藤代博明君が亡くなった。 中学校の頃からよく一緒に遊んでいた。 私にとって一番の親友。 わがままな私に腹を立てることなく、いつもにこやかに接してくれた。 高校はそれぞれ違う学校で、野球部に所属していた博明君と会うのは、年に数回の日曜日くらい。 私の父母とも仲が良く、家で話すこともあった。 当時新聞社に勤めていた父は「創立してすぐに全国大会なんてすごいなあ」と驚いていた。 自慢の友人でもあった。 全寮制の大学に進学した私は、地元に帰ってくると、まず博明君に電話して、共に語らった。 いつも夜遅くまで、時には朝方まで、「すかいらーく」でお茶をしていたのが、昨日のように思いだされる。 日曜日には、ボーリングに行って楽しんだこと、 秋葉原まで行って、おそろいのワープロを購入したこと。 パチンコ屋さんをはしごしたこと……数々の思い出がよみがえる。 博明君が出してくれたことが多かったように記憶していている。 製材のお手伝いしてもらったからと……。 製材と言うのは、お父さんを早くに亡くされて、博明君は高校卒業後に藤代製材所を継いだ。 その後、私は就職したが、転勤族の私の引っ越しを手伝ってくれました。 最初の勤務地の市原市馬立にはよく泊まりに来てくれた。 (当時、博明君は新宿区の専門学校に働きながら通っていた。) 土曜日は車で学校に行って、そのまま市原まで来てくれた。 木工の趣味の私は、藤代製材所の機械をよく使わせて頂いた。 その頃作った棚は、今も使っている。 現在使わなくなったまな板ですが、今でも取ってある。形見とする。 藤代家の新築での「たてまい」(? 餅等をまく)や、とんど焼と言う行事があると、呼んでくれて、家族で行った思い出もある。わが子の心にも思い出の1つとして残っている。 広島や神奈川・茨城に転勤になってからは、会う回数もぐっと減った。 私は、数年前に、父も母も亡くなり、佐倉に行くこともなくなった。 もっと連絡すれば良かったと思う。 闘病生活のこと、知らなかった。 苦しかっただろうなあと思う。 あまりにも早すぎる。 後悔だけが残る。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.03.14 19:07:44
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