突然の訃報が届く……。
昨年の3月には、中学校時代、一番仲の良かった友人が大腸ガンで亡くなった。
今回亡くなったのは、高校時代に一番仲の良かった友人。
我々は、北習志野にある高校に通っていた。
私は、志津駅。彼は西登戸駅から京成線を使って通っていた。
津田沼駅からは、新京成線に乗り換えるわけだが、
その津田沼駅で待ち合わせ。
通っていた学校は、北習志野駅からバスを使うのが一般的。
徒歩の場合は、北習志野駅か習志野駅から歩く。
20分くらいだったか。
我々は、習志野駅から歩いた。いろいろなことを話したなあ。
休みの日とかに東京にも行った覚えがある。
銀座のハンターにビートルズの海賊版のレコードを買いに行った
こともあったなあ。
彼は、フェンシング部。
恵まれた身体で身長も高く、がっちりとした体格。
とても病気になるとは思えなかった。
病名は、「間質性肺炎 」。
コップを例にとると、コップの中で起こる病気が肺炎で、
コップ自体が病気になるのが「間質性肺炎 」。
発祥の原因は不明であるらしい。
また現代の医学では治癒は難しいらしい。
高校を卒業してから数回会ったな。
私が転勤族ということもあったけど、
お互い家庭を持ってから会う回数も減った。
いつしか年賀状だけの交流に。
昨年のお正月に、
「山本引っ越したの? 年賀状が戻ってきた。」
と連絡があった。
LINEをやっていることを知り再び交流。
「2日前の夢で、山本と釧路に行ったよ」
そういえば、我々は、高校の依頼で、北海道の子と文通をした。(私は、それすら忘れていた)
「名前も憶えているよ。こっちは、駒田〇〇牧場の娘で、山本は藤田●●●」
「素晴らしい記憶力だねえ。凄い! 並木君のこと、もっと尊敬しなきゃいけなかったんだね。」
「打診かけて夏に行く計画建てるのも面白いかもしれない(笑)」なんて言っていたのに。
(検索をかけたけど、HITなし)
並木君も検索をかけたようで
「釧路大楽毛 牧場で検索なし。大楽毛って随分と狭い地域だけど、牧場はなさそうだなあ。
根気よく探してみるよ。」
とのやりとり。
「コロナがおさまったら会おう。」と。
4月1日のLINEは、「間質性肺炎 」になって在宅酸素24H。でも仕事は無理のない範囲でしているとのこと(2~3月は入院していたとのこと)
4月20日のLINEは、「病人なのに土日も仕事している。GWにどこかで会わないか」とお誘い。
(ここがチャンスだったのに、私のミスでチャンスをつぶした。)
夏、まさかのコロナ発症(私)
12月31日のLINEは、「上限を超えた数値があったので大事をとって入院。でも9月と比べたら軽いのでなるべく早く退院したい。暖かくなったら会いたいです。」
これが最後のメールになってしまっている。
そんな重症だったとは気が付かず。後悔、後悔、後悔、後悔、後悔。
一番の思い出は、高校の卒業式に泊めてもらったことだなあ。
私、人を泊めるのは好きで、よく友人や後輩を泊めたことはある
けど、人の家に泊まるのは苦手だった。
うちの高校、卒業式が終わると、観光バスで東京のホテルで謝恩会をする。
1学年450人が入れる宴会場をもったホテルは、当時の千葉にはなかった?
謝恩会が終わった後、2次会。親しい友達と一緒に飲みに行った。
お酒なんて飲んだことがなかったので、酔っぱらった。
帰りが危ないということで、並木君が「うちに泊れよ」と。
並木君の家に着くと、並木君のお母さんが温かく迎えてくれた。
並木君「こいつさあ、酒もタバコもすわないから」
並木母「あら~、まじめねえ」
高校生は、普通、酒もタバコも飲まないでしょうと思ったのを覚えている。
「後悔、先に立たず」かあ。