私は2年前に おわら道場の庵 代表から依頼を受けて。 庵代表の友人でおわら道場の 法被デザインもなさった。 仏画修行の絵師だった笠原輝芳氏 を偲ぶ企画に協力させて頂きました。 笠原輝代氏がデザインの法被。おわら道場の正装です。 笠原氏は仏画修行の途中、立ち寄った 八尾でその風情に惚れ込んで12年間 住みついた新潟県出身の教員でした。 笠原氏 作品 笠原輝芳氏が描いた おわら絵画。 多才で作詞・作曲もなさいました。 故 笠原 輝芳氏 が作詞、作曲 した遺作を庵代表がCD作製。 『坂の町 歌のまち・・・』の CDレコーディング作品のジャケット デザインを担当しました。 無論、私は初めてです。 そして最後と思う得難い体験でした。 お話を伺った時、デザイン完成までに 1週間の猶予しか無く、八尾町に撮影 にも出掛けて寝不足での作業が懐か しいです。 坂の町 歌のまち・・・
作詞・作曲 笠原 輝芳
あの日別れた眼鏡橋
今日はうれしい出会い橋
この坂登ればなつかしい
あなたの笑顔が待っている
はやる心をおさえてたどる
越中八尾は坂の町
うた人たちがあこがれて
舞人たちが夢にみる
遠くに暮すもどかしさ
虫の音聞いて秋を知り
口づさんでる恋しいおわら
越中八尾は歌の町
何にもないけど またおいで
ただひと言が身にしみて
思い出します町なみを
何かありそな胸さわぎ
風よことしもわたしをのせて
越中八尾へつれてゆけ
自分の余生を感知したかの様な
歌詞・・・・・・ 感涙。
聞名寺には「風の盆」石碑が
あります。
『風の盆』は『笠原輝芳氏』
の自筆の転刻です。
ジャケットに石碑写真を活用
しています。
石碑側面には、竹内 勉先生の
短歌 「姿なく 声も聞けねど
我は待つ 九月三日は 聞名寺
にて」 と
聞名寺霧野雅麿住職が書
した「南無阿弥陀仏」が刻ま
れています。
風の盆祭り(9/1から9/3)
聞名寺ではおわら踊りの
舞台踊り後半 「南無阿弥陀仏」
の合唱でおわら踊り『念仏踊り』
が行われます。
私、この踊りを初めて観聴きした
時、感激して、涙が止まりません
でした。
故人を偲ぶ。
笠原氏の生い立ち、八尾町で
の生活振りを学習。
その人間性に惹かれ頭の中に
鎮座しています。
その話題を綴った日記に 笠原輝芳氏 の親戚の榛名山さんからコメントが入 りました。 嬉しいのでご紹介させて頂きます。 http://plaza.rakuten.co.jp/mikiosoba/diary/201203190001/ 笠原輝芳の従兄弟です | |
日々笑進 みき様
私 輝芳の従兄弟 榛名山です。輝芳からは、手紙や電話で、風の盆について話を伺っていました。しかし、輝芳が生きているときには、行ったことがありませんでした。亡くなってから、門名寺に家族で行きました。一緒に行った妻も白血病で亡くなり、また、私もやっと定年退職。今年、始めて風の盆に行く予定です。輝芳の実家からは、田中泰阿弥という有名な庭師が出ております。私の父の養父でもありました。輝芳が生きておるとき、もっと風の盆や泰阿弥のことを聞きたかったです!(2012年07月04日 22時37分49秒)
榛名山さん
ようこそ、嬉しいコメントを
有り難うございます。
私もタイムマシーンが有るのならば
笠原輝芳様にお会いしたいです。
雑草園とて 自宅を開放。
多くの諸氏と交流、素晴らしい
人生でした。
越中八尾おわら道場の代表の
庵 進先生は 笠原様を敬愛
していました。
その恩返しで 笠原様の遺作
となった。
坂の町 歌のまち・・・
をレコーディグ。
ジャケットデザインを
私が担当させて頂きました。
素敵な笠原様の 従兄弟様
との 縁 えにし に感謝
します。
これからもどうぞ、宜しく
お願いします。
最愛の奥様を彼岸分かれ。
どんなに辛くて 寂しいかと
お察しします。
同年代として、謹んでお悔やみ
申し上げます。 奥様に合掌。
日々笑進 みき
ブログを通じての 不思議な交流を大切に
したいと思います。
感謝、感謝。