昨晩は夜バイトでした。
雪が降って寒かったです。
そして
2/19の朝。
心配した程の積雪も無くて
青空も見える良い天気。
夕方には剱岳も観えて綺麗。
剱岳を撮影しました。
見たこともない程の鳥が電線にとまって
いました。
写真撮影して風呂の湯上りに着服していると
玄関チャイムが鳴りました。
近所の武部様の奥様が挨拶。
昨年、主人の葬儀の際
に弔辞をして頂き有難うございました。
一周忌のお供え物ですと届
けて下さいました。
私は
通夜の晩に思い付きで
葬儀の朝に弔文を持参
して、喪主の息子様に提案して
読ませて頂きました。
弔辞が無いと勝手に思って居た私。
富山県ハーモニカー協会の会長の
弔辞が準備されて
居ました。w弔辞でした。
葬儀後
自分の出しゃばりを
時々反省していました。
そんな訳で
1年後に奥様から丁寧な
謝辞はとても嬉しかったです。
沢山の鳥も
武部先生に会いに来たのでは・・・と
思いました。
日々笑進 みき
昨年の綴り
再掲載。
弔辞
平成28年2月20日の早朝、
享年89歳で彼岸なさった
武部芳一(たけべよしかず)先生。
各種エベントや福祉施設等の
アトラクションで
ご一緒させて頂いたご縁で
僭越ながら謹んで
弔辞を述べさせて頂きます。
私は素人芸ながら手品やウクレレ演奏、
おわら踊りで共演させて頂きました。
共演の際には極上の笑顔で優しく応対
してくださった武部先生と
のお別れは辛くて、
とてもとても寂しいです。
共演の日本語が間違っていました。
私は素人芸でした。
雲泥の差 武部先生は雲の上の芸能で
筋金入りのプロフェショナル
のハーモニカ奏者でした。
本日、お集りの相ノ木新町在住の諸氏や
親交のあった諸氏でも
89年間の武部先生
のご活躍を詳しくは存じ無いと思います。
分からない事はネットで
調べられる便利な時代です。
YAHOO検索
「武部芳一」でヒットした情報です。
武部芳一 75歳時点で富山県の上市町在住。
男性 会社員時代には
羨望を集めた「宮田ハーモニカバンド」
のメンバーとして活躍。
その後、戦争で自然に活動も自粛となる。
だが、定年後、一念発起し、
約40年間のブランクも、ものともせず。
ハーモニカ振興会主催による
指導者養成教室の指導者に就任。
自身でも教室を開催。
バンドも結成している。
年に20回程の福祉施設
・病院等も訪問。
同年代の方が若い頃に
親しんだ曲を演奏し、
拍手喝さいを浴びる。
と記されています。
物凄い先生でした。
悔やんでも、悔やんでも。惜しまれます。
武部芳一先生は病に倒れた後、
数年前は奥様、娘様との介添えで
天気の良い日には散歩もなさり
気丈にも一生懸命に
リハビリに励んでいました。
恐らくは80歳を過ぎても
要望が有れば名古屋市にも
演奏の打ち合わせに
出掛けた元気を取り戻し、
社会貢献に返り咲きたいとのお
気持ちだったと察します。
無常の約束で
武部先生はお浄土に旅立たれた。
でも、
武部先生の残された偉業は永久不滅です。
涅槃にて、まずはご自愛。
一休みしてから残されたご家族様等
を見守ってあげてください。
住居近くの田園。
平成28年2月23日
南無阿弥陀佛 南無
合掌みき。