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カテゴリ:越中八尾 おわら道場
越中八尾おわら道場の顧問
竹内 勉先生(享年77歳) の諭。 私はおわら歌唱を習い始めました。 この諭を拝読。勇気を貰って居ます。 2011年 著者と竹内先生(青い浴衣)。 「なぜ、お稽古事が必要か」 を 謹んでご紹介させて頂きます。 2010年11月に富山能楽堂で 竹内先生から頂戴した綴りです。 人は一人では生きられない。 話す相手がいないと、淋しくて淋しくて。 かって家族がその役をつとめていたが、 今の時代は一人ひとりが自分の好きな 仲間を作るというよになったため、 家族で固まらなくなった。 その中でいかに話す相手を作るかである。 人は、自分より賢くて、格好よく、 美しくしかも共通の話題と価値観を持つ 人を求める。 そうすれば、自分の向上に役立つし、 世間に対しても格好が良いからである。 ところが、相手もまた人を選んでいる。 一緒にいて楽しく、格好が良く、 上品で、話題が豊富で共通の趣味と 価値観を持ってる人をである。 仮に、その中のいくつかが不足 していても、本人が努力しているので、 歳月をもたせれば、今の自分以上なる だろうと期待できる人を、友に求める。 この双方の希望が一致した時、 初めて「友達」になれるのである。 その「友達作り」の場が「お稽古事」 の世界である。 なにしろこの世界は、本人が持って いる五感(目・耳・鼻・舌・皮膚)と 五体(頭・頸・胸・手・足)を用いて 表現するだけに、本人の意地がその まま表れてくる。 人は、生まれつき、全て揃って いる人はいない。 一箇所なおし、次の一箇所なおす。 それはお洒落をするため、衣類や 小物を買い替えて、よりよいものに してゆくのと同じで、その数が多い 人が「お洒落な人」でありお稽古事 の「上手な人」である。 その「上手な人」を友達に欲しい ならば、まず、本人が同じくらい 「上手」になるか、もし劣るという なら、相手を手本にして、少しでも 近づこうとする努力続ける誠実さを 見せることで「友達」となっていた だくことである。 一人の「優れた友達」は自分の 才能をかいかさせてくれるし、 たった一度の人生を、美しく、楽しく、 明るく飾ってくれるので、なんとしても 「質の高い友達」を持つべきである。 そのためには、お稽古事の分野はなんで あれ、上に向かって努力を続けること である。 私は十二歳と七箇月の元旦から、 民謡採集を始めた。 山に例えれば、登山口が「民謡」である。 毎日一歩、また一歩と、上に向かって 努力していたら、七合目あたりから、 「頂上に行くなら一緒に行きましょう」 と声を掛けてくれる人が現れ始めた。 日本を代表する大会社の社長も いれば、高僧もいる。人間国宝もいる。 日本中のだれもが知っている著名人も いる。 初対面で話を交わしても、十年来の 友達の様に親しく成ってくれる。 誰一人、どの登山口から登ってきた のか(お稽古ごとの種類)などは全く 尋ねないのである。 今日の皆様に勧めたいのは、 たった一度の人生は「良き友」で 飾ることである。 そのためには、現在の自分をー箇所 でも良いから、質を高める努力をす ることである。 「もうこれでいい」「歳だから」 「いまさら」と思った時から、 人は下りのエスカレーターに乗る。 そしてあっという間に「あの人が」 「あれだけの人が」と落ちていく。 そしてそれまで周辺にいた 「立派な友達」も、一人離れ、 二人離れ、いつか全くいなくなる。 仕方ないから「出来の悪い友達」 を集めると 更に感染して、更に悪くなっていく。 そうしたことを防ぐためにも、 体力・年齢・能力を脇に置いて、 「努力」をすることである。 世間は見ている。「努力する姿」 の美しいことを。一度の人生で ある。 まず自分の心から美しく飾る事を 始めることを勧める。 これが民謡を求めて62年目の考え である。 2010年 の綴り 民謡の守門者 竹内 勉 回顧して 竹内 勉先生との 縁に 感謝、感謝です。 竹内 勉 先生の 活舌の良い 語り 懐かしいです。 日々笑進 みき お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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