私の出産
12/8の日記に少し前書きをしましたが今日は一年前の出産のことを書いてみようと思います(思い出すとやっぱり涙してしまいますが・・) 月菜の出産予定日は11/30でした。出産当日が来ても、お腹の張りは少しあるけど陣痛の兆候はまだでした。それから1週間過ぎても、張りは増すものの変わりない状態が続きました・・。そして12/7の検診で『明日入院して促進剤を打ちましょう』ということになりました。翌日12/8、緊張しながらもやっと赤ちゃんに会える嬉しい思いを胸に病院へ。 入院してから促進剤を打ち始めました(手の甲に刺す針が痛かったぁ;;)しかも1回目失敗されて腫れるし手は変色してしまうし(涙)促進剤が除々に強くなっていき、2日目に破水してしまいました。それでもなかなか下がらず、子宮口も7cmから進まなくて促進剤の量をどんどん増やされ、陣痛だけがとてつもない痛みでもぅ本当に言葉では表せられない耐えられない程でした。 3日間促進剤を打ち続け、痛みに苦しみ耐えましたが赤ちゃんの心拍がどんどん低下してしまい、私の体力も限界になり母子共に危険な状態なので、緊急帝王切開になってしまいました。手術して月菜が無事産まれましたが、長時間の陣痛だったため自力で子宮収縮も出来なくなって2000cc近くの大量出血をしました。 血圧が急激に下がり、みるみるうちに全身青白くなっていったそうです。とにかく体温が急低下してものすごく寒くてガタガタ震えていたのを覚えています。病室から急いで手術室に運ばれ、処置を施しましたが危ない状態ですぐに救急車で大学病院に運ばれました。意識が朦朧として、救急車の中ずっと声をかけられていました。病院では十数人もの医師達に囲まれ、体中管だらけでドラマのようでした。迅速な処置で、無事一命を取りとめることが出来ました。一度も我が子を抱くことも出来ず、離れ離れになってしまいました。翌日、パパが産婦人科で月菜の写真を撮って来てくれました。カメラの中の月菜を見ることが、私の一番の支えでした。でも・・その日の夕方、月菜が別の救急病院に搬送されてしまったのです。陣痛の途中破水してしまい、長時間経過したため、羊水を飲み込んだ可能性が高く血液検査の数値が高いため、感染症の疑いがあるとのことでした。 生まれたばかりで、細い腕に点滴したり検査したりと聞いて胸が張り裂けそうでした。早く回復して月菜の元に行ってあげたい!あの子の傍に居てあげたい!出産は終わったけど、今度はお腹を切った痛みと一日何度もある子宮の処置は激痛を伴い本当に辛かったです。頑張るしかない!その一心でした。日に日に少しづつ血圧も上がっていき、その後は産婦人科に戻りました。今度は母乳をやりたくても我が子がいない・・悲しかったです。少しでも飲ませたくて絞って月菜の病院に届けてもらいました。 月菜も治療の甲斐あって少しづつ数値が下がり大事には至らなくて済みました。無事でいて欲しいと毎日祈るばかりでした。本当によかった。。そして初めて我が子に母乳をやることが出来た時は感動で一杯でした。 陣痛途中何度も心音が低下して、もっと早い段階で帝王切開にすべきところを別の病院からヘルパーで来ていた医師の判断ミスのためにとんでもない出産を経験するはめになってしまいました。本当に辛くとってもとっても大変な出産になりましたが 母子共に無事命があるのも、周りの想いや神様が助けてくれたんだと思います。 しばらくは出産を思い出しては、毎日にように泣いていましたが月菜もすくすく育ってくれて、今では貴重な体験だと思えるようになりました。そして我が子を命がけで産んだことを誇りに思ってます。そんな月菜も、12/11で1歳の誕生日を迎えることが出来て幸せです。月菜、辛い思いをさせちゃったけどママを選んでくれてありがとぅ。いっぱいいっぱい幸せにするからね♪月菜はパパとママの宝物だよ☆