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くそあつ~い、奥さん、気は確かですか?
私はとっくにやられています(*_*) 今日は広島に原爆が落とされた日ですね。 私は最近、第二次世界大戦関係の動画を見ていましたが、日本人だから でしょうか、いや、たまたまだと思いますけど。 本土の空襲も酷かったですが、南の島での戦いも熾烈を極め、最後には 全滅とは、そして、餓死者が多かったのも悲惨です。 兵站をしっかり計画せずに、「現地調達」なんて聞いたことありません。 兵隊さん達、お腹が空いて「突撃」どころじゃないでしょう。 随分、病気で「もう俺はダメだ」とか「殺してくれ」と、死んでいった 方も多かったそうですね。 明治時代は日露戦争の前に、大山巌が児玉源太郎に、兵站と良い時期を 見計らっての終戦への交渉を「頼みます」と。 勝てる見込みが無く、良くて五分五分なので、終戦への交渉が大事と いうことをあの時代の政治家も軍人もわかっていたのですね。 そう、軍人は政治に関わらなかったのです。 片や昭和になると、明治時代の政治家も軍人も亡くなったり、(五・一 五)、二・二六で殺されたりしてしまった。。。 戦争の戦い方も、辞め方もわからず、捕虜になるくらいなら死ねと。 これは陸軍でしょうか。 死んだら、味方がどんどん減るのに。 一方南の島では、兵力も弾丸が尽きても、玉砕を許さなかったりと、 もう参謀本部は自分達が現地を見ていない物だから、酷い命令。 海軍は、若い士官程、退艦してまたお国の役にたつようにと。 これでは仲が悪いわけですよね 第二次世界大戦後、アジアの植民地を開放し、独立させたのは日本の 功績と言えるでしょう。 当時アジアで、ヨーロッパやアメリカの植民地になっていなかったの は、日本だけだったのです。 それで、大東亜会議も日本で開かれて、アジア各国のリーダー達が アジア頑張ろうとなってのですが、日本が負けたので、日本は悪い 国とされてしまいました。 中国や韓国の作り話は甚だしいですが、皇軍として、当時の兵隊さん 達は立派でした。 民間の家を空爆することも無ければ、原爆を落とすなんてこともしま せんでした。 死ぬ覚悟で、撤退を決めた島へ兵士達を迎えに行きました。 でも、やはり上層部の作戦の立て方は良くなかったのかな、 最後の方は作戦を立てても、戦闘機も銃も弾も無ければ、実行のしよう がありません。 勝っても負けても、戦争はどちらにも被害が出ます。 今、米中が危険な状態にありますが、戦争にだけはならないように、 何とかして下さい。 いつもポチっと応援ありがとうございます にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 7, 2020 12:26:55 AM
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