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「更級日記」の作者(菅原孝標の娘)が「光る君へ」に出演すると聞きました。
ご存知かもしれませんが、「更級日記」の作者は「蜻蛉日記」の作者の姪に当たり ます。 道綱の母同様やはり和歌が上手く、勅撰和歌集に12首程入っています。 彼女は物語が大好きで、若い頃はひたすら「源氏物語」をはじめとする物語を読み まくり、夕顔や浮舟のように、どこか田舎に匿われて、源氏の君の様な素敵な方を 年に一度で良いからお迎えし、時々お手紙をもらえたらどんなにうれしいことか、と 思うようになり、やがてそれしか自分の将来を考えられなくなっています。 因みに、いくつかの物語は、一条天皇第一皇女脩子内親王から下げられたものを、 脩子内親王に仕えていた親族からもらっています。 その後、つてがあり、御朱雀天皇の第三皇女祐子内親王に仕えるようになります。 それでも、両親は彼女がいない寂しさや心細さに耐えられず、彼女を結婚させて しまいます。 彼女の結婚は紫式部のように晩婚だったようですが、夫との年齢差は6歳位だった ようです。 恐らく正妻ではないと思います。 子供は複数いたようで、長男が17歳の時に夫が亡くなっているので、33歳頃の結婚で、その後17~18年間夫婦でいられたのでしょう。 結婚しても、源氏の君に憧れていたのもあるのでしょう、その様は豪華で立派なわ けでもなく・・・と、最初は思った彼女でした。しかし、いざ夫に死なれてみると、その悲しさは例えようもなく、彼女は悲嘆にくれています。 たった2年の結婚生活でも、頼む人を亡くした紫式部も同じ気持ちだったでしょう。 菅原孝標の娘は、度々夢の悟しを受けています。 経を習いなさい、とか、天照大神を拝みなさい、とか、稲荷からのしるしの杉ですよ、と何かを投げられたり・・・。 そして、最後が、天喜三年十月十三日の夢に阿弥陀仏が来迎し、恐れている彼女に 対して、 「では、また後で迎えに来よう」 と仰います。 この夢だけを後世の頼りに、彼女は生きていくことになりました。 他に、「更級日記」の中には、行成の娘の死、彼女の家で飼っていた猫が、行成の 娘の生まれ変わりだと姉の夢に出てきたので、大切に扱い、行成に知らせる方法は ないものか、と書いています。 丁度「光る君へ」と同時代に、若いですが生きていたのですね。 菅原孝標の娘がどんな場面で出て来るのかわかりませんが、今のドラマの進み具合 だと、紫式部は史実と異なり、道長より先に死ぬかもしれません。 そうだとすると、菅原孝標の娘が宮仕えに出るのは道長の死後のことなので、宮仕 えとは関係ない場面での登場でしょうか。 あ、「源氏物語」の、大ファンだったからか (C)NHK いつもポチっと応援ありがとうございます にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 18, 2024 07:27:40 PM
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