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カテゴリ:今日の出来事
10日ほど前、義父が亡くなりました。
84才でした。 賑やかなじいちゃん(義父)は、 世の中がキラキラ輝くクリスマスイブの日に 荼毘に付されました。 昨年夏に病気が見つかりました。 でも高齢なこと、多少痴呆があることなどから、 入院、手術等は耐えられないだろうと、 積極的な治療は行わない方針で、普通に自宅で生活していました。 それまで通り、週2回のデイサービスも楽しみに通っていました。 それから1年以上たち、大分弱ってからは、お医者さんの往診と、訪問看護師さん、 ヘルパーさんにもお世話になりながら、自宅療養を続けました。 先月、もうあまり長くないかも、とお医者さんに言われてからは、 なるべく子どもたちも連れて顔を出すよう心がけていました。 娘はお手紙を書き、絵を描き、次兄と折り紙もたくさん折って、 長生きしてねと気持ちを表していました。 私は、何も手伝わなくてもいいよ、という義母のために、 せめてもと、おかずを多目に作ってお裾分けを届けるくらいしかしていません。 「もうデイサービスは無理でしょう」と先生に言われ、行かなくなってから、 一気に弱ったように感じました。 とにかく話好きな人だったから、出かけて人とおしゃべりするのが 生き甲斐みたいになってたはず。 仕事柄もあり、絵も文字も上手くて、 デイサービスでも作品を飾ってもらったりして、 職員さんたちからも有り難がられていたし。 そこに行けなくなったことは、 生きる張り合いを奪われたに近かったのかも…。 義父はその後、日毎に悪化していった(弱った)ようです。 最後の数週間は、息子である夫の顔も、もちろん私も、 子どもたち(孫)のことも、ほとんど誰だかわからなくなっていました。 でも、起きているときは賑やかにおしゃべりして、 最後まで笑わせてくれました。 最後の3日間ほどは完全に飲み食いもしなくなりました。 最期の時は、義母と私たち家族全員が揃って 看取ることができました。 昔ながらの最期の迎え方だと思いました。 自宅で、家族に見守られて。 いろいろな管に繋がれることもなく、 飲み食いできなくなればそのままに任せ、 自然に、枯れるように息を引き取りました。 家族葬にこだわり、その後の一通りの儀式も、 家族だけで静かにこじんまり、でも温かく見送れたので、 よかったと思っています。 今回は事前に、見送りについて、ある程度のことを知る機会が 特別にありました。 そのおかげで、どのように見送りたいかというイメージができていました。家族の中で。 だから死後の慌ただしい中でも、葬儀社やお坊さんの言いなりにならないで、 希望通りの形で最期の見送りが出来ました。 じいちゃん(義父)は、お墓もお寺も縛りがなかったので、 そのように自由に出来たとも言えますが。 この度、義父を見送ってみて、家族葬の良さを実感しました。 また、自宅で最期看取ることの良さも感じました。 ただしこれに関しては、義母の大変さを私は直接見ていない… つまり、見てもないし、介護のお手伝いも一切していないので 軽々しく言ってはいけないのですが…。 私が義母に代わって言えるのは、訪問看護師さんの偉大さですね。 義母がいつも感心してました。 義父母宅がわりと近いので、子どもたちを連れて 何度か会いに行けたのもよかった。 病院だと面会時間の制約などもあるけど、家だからそこは自由。 入院先だと多分、子どもたちは慣れてないから緊張するだろうし。 自宅だから、お互いが自然体で向き合えたのがよかった。 段々弱っていく姿を子どもたちに見せられたのも、 実は良かったと思っています。 命の最期に立ち会うのも、誕生に立ち会うのと同じくらい 大事で、尊いと思いました。 この先子どもたちが、じいちゃんとの別れの経験を大事に胸に抱いて、 自分の人生も大切に生きてくれることを祈ります。 また、ご近所で気にかけてくれたり、 仕事を交代してくれた方々へ、 この場を借りて ご報告とお礼申し上げますm(__)m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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