|
カテゴリ:病気と健康
話は曽祖父まで溯るのだが、ある日一枚の写真が出てきた。
曽祖父が誰かと一緒の記念写真である。 誰なの?と聞いたら大隈重信だそうだ・・・ 庄屋同士の結婚でお手伝いさん付きでの結婚。 曾祖母も東京の学校へ通っていたそうだが 卒業後地元の大学の教授職に就いていた曽祖父達に病魔が近づいた。 それは今で言う結核だ。 当然まだ薬が無い時代、まず曾祖母が罹患し その治療代や効くと言われている高麗人参などなど もろもろの事に住む家以外のすべてをつぎ込んだものの 曾祖母は亡くなり、また看病をしていた曽祖父も感染し しばらく後に亡くなる事となった。 感心なのは後添えの ままお母さん、という人が 立派に祖母達を育ててくれた事だ。 曾祖母の為にほとんどの財産をなげうった曽祖父 なんとなくラブを感じるなぁ、と思う 今の結核は、実際問題罹患したら死亡率が一番高い感染症だという話だ。 結核を見つける為の健康診断だったが、時代の流れで 癌は早期に見つけても、結核を見落とす方向にある、 というのはとある産業医の弁だけども。 私は呼吸器内科で結核病棟も抱える所に配属されて居たことがあるが 発展途上の国の方も入院されていたりして、その方の国では 「こんなん注射1本打たれて終わりで~す、みんな罹ってま~す」とか。 言葉が全く通じない国の人が入院されたら、いつのまにか 古参の患者さんが外国語をマスターしていたりして 隔離空間なりにアットホーム感の溢れる病棟だった。 変な誤解をされると困るので一言書くと 結核菌は食器は共用して大丈夫だし、お日様の光ですぐ死んでしまう。 怖くないと言ったら嘘になる病気だがむやみに怖がる事もない。 耐性菌という言葉を聞かれた事があると思うが 結核菌の耐性菌で一生隔離生活かも知れないけど もし治ったら癌が再発してどっちみち死ぬ、という究極のジレンマを 抱える患者さんが居た。 丸山ワクチンの逆発想、確かにその患者さんは末期と言われた 胃癌から10年以上経過していて、いつもは明るくしていても フとそんな不安を漏らしたり・・・確かにどっちも辛い。 (癌だからといって結核に罹患したら長生きという これまた危ない逆発想はやめてくださいね) 喀血が止まらなくて緊急入院の場合、正直ほどんと助からない。 どこかの病院で院内感染で看護師2人はOP適応、と出ていたが やはり結核菌も進化(?)していているのだろう。 色んな病気を含めて、呼吸器とは切ない思いが多い病棟であった。 呼吸器については色々と思い出があるので それはまた今度、そのうち書こうと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年12月23日 12時04分26秒
コメント(0) | コメントを書く |