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カテゴリ:人々
私の通っていた公立高校には
限りなくおネエな国語教師が居た 今ほどおネエが市民権を得てなかったけど 見るからに仕草もなにもかもおネエ 毎回おネエ目線な授業を展開してくれる 50歳ぐらいのおかあさんと2人暮らしなおネエ先生なのら 季節は違う歌だけど、百人一首大会やらやってる学校が 山陰にはあったので、それを思い出したんだけど 例えばこんな歌 ほととぎす 鳴きつるかたを眺むれば ただありあけの月ぞ残れる 藤原実定 私は古語辞典が大好きなんだけど それによると、この歌の注釈はこうだ 時鳥が一声鳴いて過ぎた、その方向を眺めると そこにはすでに時鳥の姿は見えず 空にはただ明け方の月だけが残っている これがおネエ先生の手にかかると 貴方のお越しを今か今かと待っていると ほととぎすが鳴いたので、いらっしゃったの?と 振り向いてみたら、そこに愛しい方の姿はなく ただ明け方の白々とした月が残っていて 今日も愛しいお方はいらっしゃらなかったのね と私は夜明けを迎えてしまった となるのだ。古典まじ~っく!いやおネエ先生まじ~っく! こんな具合に教科書に出てくる古典の句とかは ほとんどおネエ先生のテイストが加わった授業になるのら 私の居た所はまぁ、学力重視なトコだったので 数学の解けなかったヤツは机の上に正座!←立派な体罰 な先生は有名な塾に引き抜かれて行ったらしいが 驚くべきことにおネエ先生も引き抜きにあったのら。 あ~私の卒業後でよかったよ・・・ 今は市民権を得て、活き活きとしてるに違いない 私は、というと、百人一首はち~っとも覚わらない 古典は好きだし漢詩も好きだけど 百人一首のカルタ取りには興味が無いのら 興味が無いものはスルー、そして今に至る お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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