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2006.01.06
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カテゴリ:
アンネの日記増補新訂版

今日図書館で「アンネの日記」を借りてきました。
上の本は貸し出し中で、私が借りたのは1994年版です。
近くの本屋を3軒回ってみましたがおいてなかったので、図書館へ行きました。

アムステルダムで飛行機乗り換えの待ち時間にCentral Stationまで電車で行き(20分)1時間の運河クルーズを楽しんできたのですが、そのときアンネの隠れ家の前を通りました。
船の中から建物の前面を見ただけでも涙が出そうでした。
小学生のときに一度読んだことのある『アンネの日記』をまた読んでみようという気持ちになりました。

アンネ・フランク一家の隠れ家

アムステルダム市プリンセンフラハト263番地

一階部分が緑色の建物がアンネ一家の隠れ家です。
今はMuseumになって公開されているそうです。
アンネはこの隠れ家で13歳から15歳までの約2年間暮らしました。

Anne Frank House
↑ここでいろいろな写真が見られます。


『アンネの日記 完全版』
1994年4月15日第1刷
著者 アンネ・フランク
訳者 深町眞理子
文芸春秋社  より以下引用

日記の最後の日付は、1994年8月1日になっているが、この三日後、同月四日に、アムステルダム市プリンセンフラハト263番地の《隠れ家》にひそんでいた、アンネを含む八人のユダヤ人の存在は、ついにドイツ秘密警察につきとめられ、八人は逮捕され、連行されることとなったのである。
 彼らが連行された日、あとに残されたアンネの日記を回収し、隠しておくことに成功したのは、《隠れ家》の階下の事務所で働いていたミープ・ヒース、ならびにベップ・フォスキュイルのふたりだった。ミープ・ヒースは、アンネの日記に目を通さぬまま、ずっと自分の机の引き出しに保管しておいたが、戦後、アンネの死亡が最終的に確認されると、ただひとり生還したアンネの父、オットー・フランクにそれをひきわたした。

(P.1,2 この本について より)

 マルゴー(アンネの姉)とアンネとは、1944年10月末、いわゆる”避難輸送”の名目で、リューネブルガー・ハイデ(リューネブルク荒地)にあったベルゲン=ベルゼン強制収容所に送られている。この収容所は極度に衛生状態が悪く、1994年から45年にかけての冬には、チフスの大流行により、数千人の収容者が死亡した。こうした状況のなかで、まずマルゴーがチフスでなくなり、さらに数日後には、アンネも姉のあとを追った。姉妹の死亡日時ははっきりしていないが、おそらく二月末か三月初めと推定されている。二人の遺体は、他の収容者の遺体にまじって、ベルゲン=ベルゼンの死体投棄穴に埋められているものと思われる。この強制収容所が英軍の手で解放されたのは、姉妹の死からわずか1ヶ月余りのち、1945年4月12日のことであった。(P.488 あとがき より)









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Last updated  2006.01.14 00:26:49
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