|
テーマ:小学生ママの日記(28707)
カテゴリ:英語教育-1
今、フィンランド式教育が注目されている。
なぜ、フィンランドの教育が注目されるようになったかと言うと OECD(経済協力開発機構)が15歳の生徒(日本は高1)を対象に 読解力、数学的応用力、科学的応用力について 3年毎に行うPISA - Programme for International Student Assessmentという 国際学力到達度調査で、フィンランドが全教科で上位を独占したからだ。 そして下位になった日本の学力低下が叫ばれるようになった。 このテストで日本の成績が下位なのは、テスト項目をみれば当たり前だと思う。 学力低下などという問題ではなく、 日本の小学校では、自由に自分の考えを表現をする方法についての指導は ほんど行われておらず、自分の考えを表現するという能力は育ちにくい。 典型的な問題が、落書き問題だ。 落書きは、芸術だからしてもかまわない、という意見と 落書きは、他人に迷惑だからしてはいけない、という意見が 書かれていて、どちらの意見に賛成か、その理由とともに書けという問題だ。 日本では、落書きはしてはいけないこと、ということが常識となり価値観として 統一されているから、なんで、ダメなのかを考えたこともなく ダメなものはダメ。でしょ。になってしまう。 ところが、この問題が一番問いたい力は、 自分と違った価値観の人に、自分の価値観をどう伝えていくか というコミュニケーション力だ。 私の教室では、要約力と伝える力を伸ばす為の国語のレッスンを 一部のクラスで行っている。 そのレッスンで、生徒に今、困ったな、と思っていることを 聞き手に理解できるように、話しなさい。というアクティビティをやった時のこと ある生徒が、進級に伴って担任が替わり、 クラスの規則が増えて困っている、という話しをした。 担任の先生が作った規則は、消しゴムは白、色つき香つきのものはダメ 鉛筆は5本と赤と青の鉛筆かペン、その他の色はダメ というものがあり、私がどうして5本なの?6本じゃダメなの? と尋ねて、初めてどうして5本なのだろう。という考えになった。 このクラスに参加している生徒は2名が同じ小学校の異学年だが、 クラスの規則は若干異なり、もう一人の生徒のクラスは鉛筆の本数の指定はない。 他の学校に通う生徒は、同じように鉛筆の本数の指定はあるが、 誰もなぜ、鉛筆の本数の指定があるのかは、先生から聞いたことがないという。 ダメなものはダメと受け入れる土壌なのだ。 そこから、なぜ5本なのか、という事について考え意見を出し合い、 その中の一人の生徒が、翌日担任にどうして鉛筆の本数の制限があるのか? と尋ねたら、5本あれば十分足りるでしょ。という答えが返ってきたという。 フィンランドのある保育園の一日の時間割に 「座っての活動」という時間があり「詩の朗読」を行っているという。 詩を読む楽しみは、読み手が、自分の価値観で自由な解釈をするところにある。 初等教育段階での文学教育で、感想や価値観を他人と比較することを 主眼としているフィンランドらしい取り組みだと思う。 自分の感想を発表していくことで、価値観を比較し、 他人と同じ部分、違う部分があるということを経験しながら育つ。 国語の問題集で、詩を取り上げ、 作者の気持ちがどのような気持ちでこの詩を書いたかを 選択肢の中から選べ、などという問題があったり、 「月とウサギ」という話を 残酷な話しだから、園児にしないでくれと言う幼稚園。 日本とフィンランド、教育の根底にあるものが違うのだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年05月25日 19時36分49秒
|