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カテゴリ:英語教育-1
昨日、父母会で配布するプリントの原稿を書いていて、
ふと、今のバイリンガルという言葉の使われ方を見ていると、 私が英語を指導し始めた20年以上前より広範囲の意味を持って使われるようになり、 お母さんを混乱させているのではないかと思い始めた。 バイリンガルについてネットで検索しても 教育者、学者でさえ、その定義はばらばらで、 中学から習う英語ですら、第二言語としているものもあった。 一般的になりつつあるバイリンガル=英語を流暢に話すですら、 どの程度を流暢と言うのか、これまた曖昧だ。 バイリンガルは、二重バイリンガル(二つの言語の能力が母語話者と同程度)、 平衡バイリンガル(両方の言語の能力は同じだが、両方とも母語話者に及ばない) 偏重バイリンガル(どちらかの能力は母語話者と同じだが、他方は、母語話者に劣る) に理論上は分けられる。 そして昨日、たどり着いた一つのサイトには、こう記されていた。 実際には二重バイリンガルは稀であり、 平衡バイリンガルと偏重バイリンガルが多い。 この、母語話者と同じ能力というのはもちろん認知能力や、複雑な表現をも含むが、 どこの国であっても言語の発達は年齢によって差があるので、 「年齢相応の」という考え方は必要だと思う。 その上でさらに、バイリンガルが主に会話に関する定義であるのとは別に、 二言語に関する読み書きも相当程度にできる人に関して、 中島和子はバイリテラシーと言う言葉を使って区別している。 更に「年齢相応の」というまたまた曖昧な言葉が加わる。 その一方で、英語は、あくまでも外国語であり第二言語ではない、とする方も 第二言語と外国語の違いですが、 第二言語とは一言でいえば母国語とは異なる言語ではあるが 生活言語であるもののことです。もしあなたが日本に生まれアメリカに移住したら、 あなたの母語は日本語であっても、生活言語として英語を使わなくてはいけません。 ゆえに、あなたの第二言語が英語になるわけです。 一方、あなたが日本で普通の生活をしながら英語を勉強する場合、 それは主に教室の中や自宅学習をしている時にのみ使われる言語なので、 あくまでも外国語なのです。 はぁ…疲れてしまった。 これはもう私が理解できる範疇を超えている。 考えてみれば、第一外国語なのか第二言語なのか バイリンガルかどうかなど、 英語を使うことにおいては、どうでもいいことだ。 本人が必要に応じて英語が使えればいいじゃないか、 その時に向けての準備を親御さんと一緒にしていくことが 私の教室の仕事だ。 調べていくうちに、いつのまにか 私もバイリンガルという言葉の壺に填っていたようだ。 疲れていると言えば、のめり込みやすい性格の私は、 相手の存在が見えず、気持ちが目で見えない ブログやメールにとても疲れている、と気がついた。 言葉が足りずに誤解されてはいないだろうか、 あのようなアドバイスでよかったのだろうか、と 状況から相手の気持ちを読み取ろうとしてしまうのだ。 常に言葉だけではなく、相手の表情や声色で 相手の気持ちを見ながら、感じながら 話しをしている環境にいることもあるだろう。 私の書く能力以上のことを伝えようとしているからなのか、 とも考えたりする。 先日、夢玉のプロジェクトに参加している地方に住むお母さんと メールのやり取りを繰り返す中で、 レベルチェック、通信という流れになり、 お母さんがテストの結果と一緒に 少しでも身近に感じて頂ければというメッセージと お子さんの写真が入っていた。 とても嬉しく、やっぱり私は、アナログ人間なのだなぁ、と つくづく思ってしまった 夏休み中に、夢玉プロジェクトに参加しているお母さんやお子さんとお目にかかる機会が 持てる可能性があることは、とても嬉しく、楽しみだ。 *昨日、私が訪れた上記のサイトへは↓ 赤文字のサイト 青文字のサイト お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年05月28日 11時53分27秒
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