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カテゴリ:英語教育-1
読み聞かせをしても、読めるようにならない。
早く一人で読めるようにならないと読解力がつかない。 このような話を聞いたり、読んだりしたことはないだろうか? ただ読み聞かせをしても、読めるようにはならない、 と、私も思う。 (読めるようにする取り組みを読み聞かせに加えれば、 読めるようになる) しかし読めるようにする為に読み聞かせをしているのなら、 上記の言葉に心配にならなければならないが、 読み聞かせの目的は、感受性を養い、 自分でも読んでみたい、と思わせることなのだから 気にすることはないのではないだろうか。 早く一人で読めるようにならないと読解力がつかない、は 一見、なるほど、と考えがちだが、 読解力に必要なのは、感受性と読書量だ。 我が子が小学校高学年になり読解力に乏しいことがわかったお母さんから 「文字を読み始めたのは、早かったんですけどねぇ」 という言葉をよく聞く。 いくら早く文字を読み始めても、 感受性を育てられておらず、乏しい子どもは、 本を読むことに興味を示さず 読書量は少なくなる。 一方、読み始めの時期が遅くても、 感受性豊かに育てられ、本を読むことに興味を示す子どもは、 貪るように本を読み、読書量は多くなる。 読み始めの時期と読解力が一致しない理由だ。 英語での読み聞かせもそうだ。 英語を習得するためだけではなく、 内容も楽しませて、味わせてあげて欲しい。 同じ文字を読むという行為でも 「字面」を「読む」のと内容を読むのとは違う。 ただひたすら文字を読ませても 書き手の気持ちを感じる感受性がなければ 内容を読み取ることはできない。 すなわち、読解力は育たない。 読み聞かせは、感受性を育てて、 本を読むおもしろさ、楽しさを教える 読解力の根幹を育てるすばらしい指導法だ。 多くのお母さんたちに、自信を持って続けて欲しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年07月28日 21時16分21秒
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