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カテゴリ:英語教育-1
生徒にとってよい先生であること
講師は、そう考えて指導している。 しかし、「よい」の形である、 何を目指して教えているのか、 理念や指導法は講師によって異なる。 あの教室の先生は、よい先生、よい教室よ、と 誰かが言ったとしても それが自分にとってもよい先生、よい教室とは限らない。 生徒側の「よい」の基準もまた ひとり、ひとり違い、その上不変のものではない。 よい先生、よい教室の見極め方を教えて欲しい という問い合せをよくいただくが、 まず自分が何を求めて教室に通うのか、 それをはっきりさせて、「よい」の基準を作ること。 そして、通える範囲の教室すべてを訪ね 体験レッスンが可能なら体験をし 講師に何を目指して指導しているかを尋ね、 その指導理念がどのように指導に反映しているのかを 具体的に質問することを勧めている。 学習成果はその次ぎである。 円滑な相互理解ができる 信頼できる相手かどうかの見極めこそが 一番重要なポイントだと思う。 ちなみに、私の教室に来るまで 5教室以上の教室で体験をしてきた方はざらで、 10教室以上という方も少なくない。 私の教室を知ったきっかけは、 生徒の親御さんや友達のお母さんの話し、 教室の前を通ってが圧倒的だ。 私が自分の教室がよいかどうか 顧みるポイントはいくつかあり、 生徒の習得の管理をきちんとし、 責任が持てているかどうかも その一つである。 よく外国人講師がいいのか 日本人講師がいいのか、という議論を耳にするが 親が将来を含めて習得の管理ができないのであれば、 習得に責任を持てる指導を行っている 経験が少ない先生であれば、 行ってくれるのではないかと期待できるかどうかで 判断すべきだと考える。 昨夜、授業後に年少の時から自宅から離れた場所にある 私の教室に通っている高校生の兄弟と話していて 目の前にいる私より遥かに背が高くなった青年たちを見ながら この二人の幼い時の姿や言葉を思い出し 長きにわたり成長する姿や、修得の過程を見せてくれている この二人に私もまた育てられたのだと、 感謝と幸せな気持ちで胸がいっぱいになった。 17年前の私は、理想ばかり高くて大きい 今とは比べものにならいほどの 小さな講師だった。 その私が今もこうして仕事を続けてられるのは 取りも直さず親御さんの理解があってのことである。 経験を積むことで磨かれ、見えてくることも多いが 理想を貫く情熱が経験を凌駕するのも 指導の世界だと思う。 身近にいるよい先生と、いい出会いをして 信頼関係で結ばれ、共に歩いていけることを 願ってやまない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年01月28日 17時41分42秒
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