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カテゴリ:教育
時折小雨がぱらつく、生憎のお天気でしたが、
今年も80名以上の生徒達が参加しての 町内を歩くパレードを含むハロウィンイベントが無事終了 例年、大勢の生徒たちがハロウィンを楽しめるのは 自宅を回ってくる生徒たちを喜ばそうという 親御さんの協力があればこそで、 実にありがたいことだ。 そして、更に嬉しいのは、参加している生徒たちの中から 「自分たちがこうやってハロウィンを経験できるのも 協力してくれるお家があるからですよね。」と 年齢が上がるとともに、親御さんの気持ちを理解し 感謝の念を持つ生徒が出てくることである。 さて、先月下旬に埼玉県の公立小学校で 小6の担任教師が自作のセクハラサイコロを使っていた事件を 覚えておいでの方もいらっしゃると思う。 この担任は、「(生徒を喜ばせようという)サービス精神でやった。」と 語ったそうで、 この問題を取り上げたテレビ番組で1人のコメンテーターが 「先生の評価制が導入された為に先生の中には、 生徒たちに受けようと、私が取材した公立小学校では 着ぐるみを着て教えている先生がいました。」 と言っていた。 ずっと以前に予備校の名物講師として 服飾品をごちゃごちゃ身につけたりと 奇をてらった格好をする講師が騒がれた時のことを思い出す。 予備校や塾なら集客の為に 奇をてらったようなことをする必要があるかもしれない。 しかし、果たして公立の小学校でそのようなことをする必要があるのだろうか? そこまで先生たちは追い詰められているのだろうか? セクハラサイコロ事件については 生徒達は喜んでやっていた、 人気も実力もある先生なのに 事件になってしまって可哀想、残念という声もあり 先生を擁護する教え子さんのブログも登場するくらいの先生である。 だからこそ、その先生がなぜ、セクハラサイコロなどという名前をつけたのだろうか? セクハラという言葉は、軽々しく扱ってはならない言葉であることを 知らないわけではないだろうに。 と思ってしまうのである。 一口に教えるといっても 塾だからできることと、 公教育という学校だからこそできることがある。 ちなみに教育大国と言われるフィンランドでは 「学校は、勉強の仕方を教えるところ」という考えだ。 教える側も学ぶ側(親を含めて)も 公教育の在り方をしっかりと認識しておく必要性を このセクハラサイコロ事件は教えてくれたと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年11月02日 12時54分50秒
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