氣功音楽論・5
キリちゃん(キリスト)はニコニコしながら、ホントはこう言ったのかもしれないね。「聴いてみな・・・綺麗な音楽が流れてるぜ」ギターを爪弾きながら、歌って話したろうね。シンガー・ソングライターなんだな。あの長髪と髭面もライブに似合っているしね。ブッちゃん(仏陀)は得意のウソ(方便)で、観音ちゃんが如何にイイオンナか説明した。「観音ちゃんの名前を呼べば、すぐ来るよ。マグマ大使の笛みたいだねぇ」(観音という名前からも、音を観るのがコツなんだ。ちなみに・・・観音様はオンナではないけど・・・)同じ音楽でもライブとCDの違いもある。同じCDでもプレーヤーによって音質に差が出る。しかし、全てに共通するのは、「聞く」より「聴く」事により本質が観える。多少の間違いや音質の不出来よりも、音楽の元にあるモノを感じる事が大切なんだ。最初は解らなくてもいい。音楽は聞く。そして感じる。そして聴く。そして、観る。そして・・・音を楽しみ、そして・・・気持ちを愉しむ。体で受け止め、心で放す。音楽(氣)は、大宇宙(自然)から伝わってきたモノだから、体と心に循環させたなら、大宇宙(自然)へと放していくモノなんだ。この一巡りの作業で、音楽は完成する。音楽(氣)は人間が創れるモノじゃないが、人間が聞こえるように変換するのは、音楽を扱えるモノが必要だ。作曲家や演奏者や歌手。ラジオやCDやプレーヤー。だから音楽(氣)を扱う時だけは、素直、ストレート、空っぽが重要だ。(性格に問題があっても大丈夫。扱う時だけ素直になればいいのだ。何しろ、欠陥だらけのワシでさえプロだ)自分が音楽(氣)を創れると思ったら、エセ音楽家に成り下がってしまう。(だから優秀な人は向かない仕事だ。偉くなると、ダメになる仕事だ)これでは音楽論が中途半端だった。また、いずれ音楽論として書いてみよう。