ボランティア・1
「ボランティア連絡協議会」というのに少し関係している。最近は「ボランティア」という言葉が増えた。流行みたいなところもある。NPOを立ち上げやすくなったので、いろいろな団体や組織が一斉に増えた。世の中にはいろいろな人がいる。人の心の中には、いろいろな部分がある。この世界は「複合」で成り立っている。人間もその心も社会も地球も宇宙も成り立っている。だから「純粋」の部分もあるが、「純粋」だけでは世界と係われない。「ボランティア」も同じだ。言葉に惑わされるが、中身は「複合」だ。これは、少しでも関係してみるとよくわかる。まして「人間」がしていることだ。「純粋」だけで成り立つはずが無い。こういう話は申し訳ないのだが本当なんだ。あまり誰も言いたがらないけど、知る必要はある。そうでないと、更に混乱と被害が出てしまう。ヤクザでさえ「ボランテェア組織」を申請しているんだぜ。詐欺グループなどにとっては、うってつけの名称だ。「商人タイプ」の人達はもっと敏感だ。ワシは悪口や道徳を説いているのじゃないぞ。全て、何をしても許しちゃう。「ボランティア」を利用して何をしようが、世間を騙す隠れ蓑にしようが、そんなの当たり前だ。人間社会、会社もだいたいは同じだと思うよ。ただね「ボランティア」の言葉に「純粋」を求めすぎだ。それは双方にとって、誤解だらけの社会を作る。悲しみ、苦しむ人達を生み出す元になりやすい。参加している自分の心にも苦しみを生みやすい。本来は「暮らしやすいお手伝い」なはずなのに、苦しみを生み出しては変だろう?ワシはヘソ曲がりだ。「組織」の綺麗事だけを押し付けられるのは好きじゃない。額に縦皺を寄せている行為は金儲けだけで充分だ。笑顔だけで過ごしたい為に「ボランティア」があると思う。それは社会の為でも善意の心でもない。「自分の気持ちよさ」がしたくて係わっている。どうしても「ボランティア」の言葉とイメージは、ワガママなワシには馴染めないんだなぁ。「建前」や「綺麗事」が必要なのは、食う為の仕事だけでいいんじゃないか?ワシ流の「ボランティア」は自由気ままだ。