貧乏道・7
金や土地や権利や名声だけでなく、家族や知識や能力や体力も求める。そして、手にいれる。しかし、必ずしも幸せは手に入らない。何もなくても幸せになる。04年2月のコラムに書かせていただいた。(本館のコラム2にあります・・・)龍村師匠の実姉、和子先生の話。インドのマザーテレサハウスでのエピソードだ。「貧して、貧ならず」鍵は「感謝」のみ。貧富はこの世の現象。道は見えない世界。貧富にとらわれるかぎり、道は観えない。富して貧す、貧して貧す。富して貧ならず、貧して貧ならず。優しくいえば「貧富に関係なく、貧ならず」これが道(タオ)だ。節約道ではない。自然(じねん)道だ。「貧乏道」は「富道」と同じだ。求め続ける者は「富」に届かない。分かち合う者に「道」が開く。「富」の意味を誤解されるので、「貧ならず」と謙虚に表現しただけだ。「もっと欲しい」富者も貧者も貧している現代。皆が同じ固定概念に縛られている。縛っているのは自分。縛られている限り、自由は少ない。それが、貧。アーユルヴェーダの教えがある。「真の健康(幸せ)の哲学」だ。(生命の科学とか寿命科学と訳されるが、一生を幸せに生きるための実践哲学なので、ワシは真の健康哲学と訳している)いろいろな人生を過ごし、最後の章の教えだ。「手に入れた、あらゆるモノを捨てて放浪の旅に出る」あらゆるモノは、技術能力や知識経験も含まれる。これが貧乏道(富道)の実践方法だ。道(タオ)は・・・険しく、遠い・・・。だから、面白い!