名・4
生身の人間だって同じだ。誰にも自分の正体が判らなくて、しかも確かめる事もできなければ、少しはミエを張って名乗る。未開の地で名乗るのに脚色するようなものだ。現に「私は○○の生まれ変わりよ」と平気で言う人はとても多い。嘘を言ってる意識はなく、信じ込んでいる。確かめられない事は言っても聞いても無意味だ。それでも圧倒的に勘違いが多いのは事実だ。(仕組み上、ある程度の勘違いは指摘できる・・・)霊が名前を名乗るのは確信犯だ。嘘を自覚している。まぁ、嘘くらい可愛いもんだ。この国の政治家の行う害と比べようも無い。あんちゃん、ね~ちゃん、ダンナ、おくさん、じいちゃん、ばあちゃん、せんせ~、みんな、うそつき・・・。ところが浄化力の氣功で浮かび上がった霊は、(不本意だと思うが)嘘がつけない。嘘をつく気にならない。これは生身の人間も同じらしい。自然体というか、力みが消えるというか・・・。初めてのクライアントがあまりに正直に話し出す。ワシも最初は何故だか解らなかった。そ、そんな事まで正直に話さなくてもいいのに・・・。そのうち、力みが消えると嘘やミエは消えると解った。何でも話してもいいかぁ。そんな風になるようだ。(だから、この氣功は心の病にも適している)霊が嘘を言わないで話してくれる。これは、とても大きな機会だ。生身の人間では判り得ない事を話してくれるのだ。とても貴重な情報になる。霊が話す事は幾らでもある。しかし、嘘が入り混じっているのが通常だ。その内容をマトモに受けるわけにはいかない。ところが、嘘をつけない状態なら、霊が話す事は大きな指摘や情報となるのだ。その霊が「名」を使えない。悔しいけど・・・名乗れない・・・。これは大きな情報なのだ。「名」は物質(肉体)に属している。