水上陽平の独善世界
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江の項(こうのこう)水は変化する。水蒸気という気体。氷という固体。通常は液体。液体も常に同じじゃない。温度も濃さも違う。様々なモノを溶かしているからだ。溶かして、水。幸も常に変化する。そして、常に流れる。固定すると、幸は幸でなくなる。流れる水は、少しだけ利用するのがいいようだ。
2009/10/31
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江の項(こうのこう)幸(水)は融合する。そして流れ続けて江となる。私の幸とアナタの幸。決して対立しない。融け合える仕組みだ。幸でない、幸モドキ。私が金持ちになると、アナタは貧しくなる。富む国が出来ると、貧困の国が生まれる。物質の裕福は、幸モドキなのだ。まぁ、モドキも少しは欲しい・・・欠陥品の人間だもの・・・だけど、欲張りは凶となる。欲張りは、苦も集まるからだ。
2009/10/30
江の項(こうのこう)幸の性質の一つ。江のヒントで明らかになる。幸を留めると、苦が生まれる。そんな例はアチコチにある。幸は固定されてない。固定すると、幸でいられない。だから、幸のままの人は少ない。幸のままの人は、幸を捕まえない。幸せは、歩いちゃこない。だから、歩いて行くんだね。見つけても、止まったら幸は変化する。いつでも、歩いている途中で出会うモノ。
2009/10/29
江の項(こうのこう)流れる水は、邪を包み動かす。動く事で邪は邪でいられなくなる。それが浄化という仕組みだ。特別聖なる力で消しているわけじゃない。万物流転の世界だ。留まれば澱になる。澱が集まり、更に留まれば邪になる。そして、苦を生む。幸は邪を浄化する。浄化しない幸はない。できないのは幸感であり、幸じゃない。だから、幸は常に流れている。幸をつかまえたままなら、幸は澱になる。澱は、苦を生む・・・
2009/10/28
江の項(こうのこう)流れる水は浄化の作用も持つ。水自体がどんなに綺麗でも、流れる事に意味がある。綺麗な水も、留まったままでは腐る。幸も同じだ。一つの幸が見つかる。その時点では、幸だ。だが、それにこだわったら、幸でなくなる。幸自体が、流れる性質なのだ。つい、幸というモノがあると思ってしまう。手に入れれば、そのまま、あると思ってしまう。常に流れるから、幸でいられる。自分のモノにしてしまうと、幸ではなくなる。
2009/10/27
江の項(こうのこう)幸と幸感の違いがある。幸は集まれば江になる。幸感は幸もあれば、エゴもある。エゴの幸感は、集まれば争う。それぞれの幸。それぞれの幸感。この違いは、似て非なるものだ。江になるか、ならぬか。それで幸がわかる。見えるモノは幸感になりやすい。他と比べるモノも幸感になりやすい。自我だけの幸も、実は幸感。他が幸に染まるのが、ホントの(自の)幸。
2009/10/26
江の項(こうのこう)幸は全てオリジナル。だが、集まれば江。大きく、広く、長い。そして、常に流動している。アナタの幸と私の幸は違う。だが、方向は同じ。性質も似ている。見えないし、動いている。しかも、水同士は溶け合う。一粒同士の水も、集まれば江。幸は様々でも、仲はいいのだ。方向や性質が違う幸はない。他と相容れないなら、幸ではない。
2009/10/25
江の項(こうのこう)江は中国の揚子江を表す。広く大きな川の意味だ。川は、いろいろな意味を持っている。いろいろな役目を持っている。ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。諸行無常、万物流転の言葉として知られる。だが、ワシは独善解釈家である。これは、幸の一面をあらわしている。幸は絶えることがない。だが、同じ幸は二つとない。しかも、水のように透明だ。見えるモノだけ追いかけると、見逃すぞ。
2009/10/24
光の項(こうのこう)光というと、眩い、明るいを想像する。聖なる、正大、立派を想像する。それも、あるだろう。だが、夜にも光はある。自らが輝く光もある。他の影響で浮かぶ光もある。全てが光だ。夜の虹は、光の本質を示している。光は、何処にも、ある。それは、いつでも、綺麗なまま。微かな月の虹。幸は、光と同じ。
2009/10/23
光の項(こうのこう)虹は太陽の光からだけじゃない。月の光で現れる虹もある。これが更に穏やかな光だ。夜の虹。見たら幸運と言われる。祝福との出会いと言われる。更に、幸のヒントとなりそうだ。出会うだけで、祝福・・・。この世は「出会いの場」だ。全てが、出会いの相手だ。だが、普段は中々自覚できない。夜の虹は、祝福の気づきを示している。
2009/10/22
光の項(こうのこう)虹は空の光の色だ。そして、綺麗で大きい。しかも、儚い。幸のヒントになる光だ。虫は昆虫じゃないぞ。竜を意味している。空にかかった竜。それが虹だ。(ちなみに雄の竜)微かの時。空に姿現す竜。誰もが、綺麗だと思う。見つけた時、地上を忘れる。虹は、幸せの色と形かもしれない。
2009/10/21
光の項(こうのこう)幸のヒント。恍は大きなヒントとなる。幸せは、微かなモノ。これは、とても深いヒント。幸せは、穏やかに存在する。これは、すごく大きなヒント。ワシの専門は生命力の活性だ。大きい、強いというイメージが固定されている。幸せは生命力の活性に比例、同調するのだ。だから、生命力は、穏やか、で、活性する。固定概念では、ガンガン元気が活性だと思ってしまう。実は、生命は、穏やか、やわらか、で最大活性となる。
2009/10/20
光の項(こうのこう)幸は心に関係する。外にある物質でなく、内の心。ならば恍は光の種類の中で、幸に一番近い。誰が恍を観つけたのか知らないが、凄ぇな・・・うっとり。微か。穏やか。やわらか。幸は、眩い光じゃない。はっきりの明るさ、でもない。しっかりの正しさ、でもない。幸は、そっと、ある、らしいぞ。
2009/10/19
光の項(こうのこう)恍は心の光。心は物質的な輝きとは違う。奥深く、味わいがある光だ。単純に明るい意識じゃないぞ。心の光の表現。例えば、気抜け。例えば、うっとり。例えば、かすか。常識のイメージと違うだろう。心の光は、淑やかなのだ。そっと、かすかに、光るモノだ。心の世界は、それが至上の光なのだよ。
2009/10/18
光の項(こうのこう)洸は水の光。湧いて出てくる水の輝き。勇ましい、強いという意味もある。海のように、広く深いという意味もある。晃は日の光。一番、光として正当・・・だから、あきらか、という意味もある。ちなみに、光は音と表現する場合もある。つまり、日の音が晃となる。胱という字もあるが・・・これは月の光・・・じゃないぞ。肉月だから、臓器を表すのだ。膀胱は、月の光じゃないのだ・・・。
2009/10/17
光の項(こうのこう)光は種類がある。光、洸、晃、恍、昴。光は、元は火の輝き。太陽も火の輝きだ。自ら、光る、輝く。他を、照らす。勢いがある。美しさがある。そういう意味もある。明るいから、昼間、という意味もある。陰陽の陽だ。陰は夜、闇。大きい、広い、という意味もある。
2009/10/16
興の項(こうのこう)個の自立と興。螺旋状に進む。自立があり、興となる。興により、気づき(自立)が起こる。この世の仕組みだ。個と社会の関係だ。個の自覚と他との共栄。お互いが、それで楽になる。社会が個を滅す。個が社会を荒らす。その先は。共倒れの滅亡。今の日本は、何処に向かう?
2009/10/15
興の項(こうのこう)氣を合わせ、力を合わせる。それには個の確立が必要なのだ。個の自立があってこそ、他と協力できる。足りないから力を合わせるのではない。個性ある個を自覚するから興になる。それが出来なければ、興とはならない。どちらかが一方的に寄生する。あるいは、両方で寄生する。欠陥品はお互い様だ。人間の段階で欠陥品以外は存在しない。そんなこたぁ、どうでもいい。欠陥品を自覚した上で、興するのだ。
2009/10/14
興の項(こうのこう)一緒に力を合わせる。表面の力だけ合わせても和にならない。興にもならない。1+1=2になるだけだ。興する。それは「氣」を合わせる。「氣と氣」が合うと何かが生まれる。2にならないのだ。数字以外になる事もある。絵になる、形になる、未来になる。興の可能性は、予測不能だ。だから、興は面白い。面白いところに、幸はいる。
2009/10/13
興の項(こうのこう)和の国・・・。日本の真髄は和・・・。真髄が何か知らないが、和は得意だった。そして、和の意味と価値は大きい。他と和する。すると、問題が解決する。新たなる、何かが生まれる。生命力が増える。日本は和によって、繁栄できた。それは結果を求めたからではない。和する事に意味と価値があったのだ。興は和の一部分だ。だから、日本は力を合わせるのも得意だった。
2009/10/12
興の項(こうのこう)力を合わせる。1+1だ。結果はどうでもいい。2でも5でも1.2でもいいのだ。結果ばかり求める風潮がある。ツマラン風潮だ。そんな事ぁ、どうでもいいのだ。合わせるところに、何かが生まれる。それが、合わせる意味だ。結果は、常に変わるものだ。意味も価値も無い。そんな事も判らなくなったのかなぁ。日本人は、退化してるんだなぁ・・・。
2009/10/11
興の項(こうのこう)生命の為に世界がある。この世(肉体界)とあの世(精神界)がある。どちらも生命の為の舞台だ。そして、我々は、この世にいる。あの世の事は、一時棚上げだぜ。この世は、個と社会で成り立っている。全ての個が何らかの繋がりに加わる。個だけでは、存在できない世界だ。多分・・・あの世は、個だけで存在できるだろう。個が基本なのは、当たり前だ。個の集まりと、個の支え合いが社会だ。この世での生命は、個と社会で活性する。生命の活性が幸となる。
2009/10/10
興の項(こうのこう)興するには、他と会わなくてはならない。そして、心に感じる何かが生まれる。個のまま閉じこもっていては興にならない。それでは、心に感じる何かは生まれない。個の世界はとても大切だ。自分が自分に向き合う世界だ。自が回復する時間だ。だが、個の世界だけでは生命は萎む。他と出会う。出会うだけでは足りない。一緒に、力を合わせる。すると、個の世界では気づけない何かが生まれる。
2009/10/09
興の項(こうのこう)興によって創られた社会。社会によって個にもたらす苦と喜。興が幸の一面ならば・・・苦と喜も幸に内蔵される。興は共同力。そして、心に感じる作用。誰かと、あるいは、何かと興する。すると、新たな何かが出来る。一人では出来ない何かが起きる。それは、同時に、個の心にも起きる。興の意味は深い。知が「心に感じる」意味ならば・・・知行一致という言葉が当てはまる。
2009/10/08
興の項(こうのこう)社会は個の幸に関与する。個の苦にも関与する。個だけでは変化が出来ないからだ。他との摩擦や刺激があって、個が変わる。社会が幸をもたらすわけじゃない。幸は自分で観つける(気づく)ものだ。だが、関与はする。大きく関与する。興という共同力。それは社会を創る。多分・・・苦と喜を比較したら・・・喜の方が多いし大きいのだろう。だから、社会は続いている。
2009/10/07
興の項(こうのこう)興(こう・きょう)。力を合わせて何かを興(おこ)す。同時に協力する。そして、心に感じる、という意味もある。生物は個で存在する。そして、お互い協力して生きている。存在は個だが、個では生きられない。それぞれが影響し合っている。ただ影響しているだけじゃない。協力する事で、新たな出来事が始まる。個と個が協力する。個の集まりが協力する。社会という世界が始まる。
2009/10/06
行の項(こうのこう)努力精進推進派は異論があるだろう。行は精進の為の行いである、と。そんなこたぁ、無ぇ。精進は趣味だぜ。行は行だけだ。立派になる為に存在しているんじゃない。魂を磨く為に生まれたわけじゃない。生命を謳歌し、様々を体験する。そして、やわらげば、上出来。目指すとすれば、幸。正しさでもなく、聖でもない。純でもなく、頂点でもない。優しさ、やわらかさ、嬉しさだ。
2009/10/05
行の項(こうのこう)楽なはずの行が苦行になる。自分を素直に観るのを忘れる。理想の自分を追いかける。そりゃ、無理も出てくるさ。精進だ努力だ聖なる行だ。誤魔化す言い訳はある。誤魔化すのは他を気にするからだ。自分の内を観るのに、誤魔化す必要はない。行は幸への歩き方の一つ。ならば楽に歩こうぜ。自分を観るのに、力はいらない。肩の力は抜かなきゃ、瞳は開かない。
2009/10/04
行の項(こうのこう)全ては行(ぎょう)になる。日常生活全てだ。行は自分の内を観る行いだ。だが、精進や努力じゃない。自然の行いだ。楽になる為の行だ。苦行であったら本末転倒。楽とは自由になる事だ。心身行が柔らかくなる事だ。自分を観る、なんて難しくない。慣れてないだけだ。自分だぜ。そんな大した内容じゃない。
2009/10/03
行の項(こうのこう)ワシは精進や努力する事を勧めない。精進は悪い事ですか?努力はいけないのですか?・・・だから、勧めないのだ。努力や精進は趣味だ。好き好きだ。しようが、しまいが、勝手なのだ。そこが理解できないみたい。立派な行為だと思い込むみたいだ。する、しないは好き好きでいいのだが、良い行い、立派な行い、と思い込むと弊害がある。努力や精進で得るモノより、弊害の方が大きい。そんな事も解らないで、他人を煽る人達が多い。胡散臭いんだなぁ・・・
2009/10/02
行の項(こうのこう)人間の判断は間違いが起こる。間違いは間違い無く起こる。それも、かなり起こる。日常茶飯で起こる。だが、間違っている間は間違いだと思わない。だから正当を主張する。違いがあれば、相手が間違いだと思い込む。自分に正誤や善悪の判断ができていると思い込む。精進する。努力して、精妙に進む。だから、間違いなど更に無いと思い込む。方向に間違いがあるなどとは思わない。
2009/10/01