「人には・111」
例えば百姓型の依存。相手は自然だ。理を解し、応用するのが生き方。だが、相手の自然があまりに大きく深い。理を解するのを放棄してしまうことがある。自然を操ることはできない。基本的には自然の為すままを受け入れる。ある意味、依存以外に道はない。だが、理解放棄してしまうと応用が出来ない。自分の動ける分まで放棄してしまうからだ。依存をするべき時や相手はある。そこを依存しても、自分の持ち分もあるのだ。全てを放棄する事と依存は違う。依存を自分の積極的な生き方の方法の一つとしているかどうか。百姓型の依存は、とらえ方により分かれるようだ。(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。治療・若返り・悩み相談受付中。日本中出張します。ブログ読者は、facebookの友達承認をしますよ。コメント付きで申請して18年間封印していた本物の「氣入れパワーストーン」を販売開始)